ピエモンテ・ワイナリー紀行#9/第二次世界大戦とは、日独伊新興勢力が同盟を組み、既存覇権者たちと戦った戦争だった
イタリア統一運動リソルジメントは、伊イタリア半島。西の根元とサルディーニア等に在ったサルディーニア王国が、半島内の国々を吸収合併という形をもって進みました。
イタリア半島内を「ひとつのイタリア」へまとめていくには、それしか方法はなかったのでしょうね。
前哨戦であるオーストリアとの戦いにサルディーニア王国が勝利したのが1860年。これにナポリとシチリアを占有したガリバルディが合流し、1986年イタリア王国が誕生します。首都はトリノでした。
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実は、フランス革命から強い影響を受けて統一イタリアを夢見たマッツィーニからガリバルディの流れの人々は、共和主義的国家を目指していたのです。しかし、長い封建時代を経て、言語的にも産業的にも細かく分断してしまった人々を蜂起させ、理想的共和主義国家を目指すのは全く持って至難でした。ガリバルディは已む無く王政を選んだ。しかしこの現実路線は統一イタリアのためには、きわめて正解な選択でした。
1866年、ドイツ国内の覇権をかけたプロイセン=オーストリア戦争が、オーストリアの敗走で終わると、その漁夫の利を得てオーストリアの占有地だったヴェネティアがイタリア王国に併合。
1870年、プロイセン=フランス戦争が、フランスの敗走で終わると、それに乗じてローマを1871年に合併。首都をローマに移しました。これをもって統一ローマの誕生となります。
しかし、ローマ教皇はこの合併に頑強に抵抗。二者の対立は20世紀まで持ち込まれてしまいます。
さて。この統一イタリア運動ですが、少し離れて世界の動向としてみると、とても面白いことに気が付きます。
実は、この時期に日本も明治維新政府が登場し、新生日本として全体主義的な方向へ軌道修正をしています。
それはドイツでも同じです。ドイツ帝国が成立した。
第二次世界大戦とは、この三国が新興勢力として同盟を組み、既存覇権者であったイギリス・フランス。そしてロシア、アメリカと戦った戦争なのです。
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました