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ピエモンテ・ワイナリー紀行#7/イタリア・ルネッサンスは自己充足的な文化である。消費するだけの文化だ

ローマ帝国崩落の後、イタリア半島は諸都市単位に分裂し、周辺諸国からの侵略を繰り返し受けながら、分裂と統合を1000年以上も続けました。
その揺籃の中で、ジェノバ、ヴェネツィア、ミラノ、ナポリ、フィレンツェなど、幾つもの都市が海洋交易によって花開き、こうした都市を核として夫々の「イタリア」が育まれていきました。彼らの気質はローマ帝国時代からの質実剛健です。働くこと。そして産業を育てていくことを「善き事」としていました。
商人の集合体である各城塞都市が、次第に独立独歩な君主制へ変革を遂げた後も、この気質は変わりませんでした。変えてしまったのは、ゲルマンの侵攻とスペイン人の侵攻です。

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彼ら侵略者は、イタリア半島各地の城塞都市を徹底的に「封建化」しました。各地方の君主たちは、独立独歩の王ではなく、教皇から任命された王。あるいは征服王朝から任命された王に入れ替えられたのです。こうして都市は、従来からの「商人のもの」から「貴族のもの」へ替わってしまいました。
ミラノのヴィスコンティ家。マトゥバのゴンザガ家。フェッラーラのエステ家。フィレンツェのメディッチ家など。全て皇帝か教皇によって任命された支配者・貴族です。
彼らに「質実剛健」などという言葉は存在しません。華麗に宮廷文化を生み出し、さまざまな芸術のパトロンとなり、イタリアン・ルネッサンスを作り上げていきました。現在、各地方に残る建物・遺産はすべて彼らの手によるものです。教会に帰依し、キリストを賛美し、芸術を愛し、持てる資産の全てをそこに投じました。
そして産業は忘れ去られた。

貴族は働きません。貴族にとって労働は恥ずべきことだからです。
その家の経営を支えるのは侍従の仕事です。貴族は、侍従たちが働くための資金を出すだけです。
つまり会社で云えば、社長は侍従がやるもの。社員は従僕です。貴族はそのための資本を出す。云ってみれば株主みたいなものですね。スポンサー→業務従事者という構造の嚆矢は此処にあります。

彼ら貴族によって、豊かなイタリアン・ルネッサンスの時代が始まります。そして"人文主義"という栄光の時代に至ります。
しかし・・考えてみると、すぐに気が付くはずですが。。すべては内向きな自己充足的な文化です。消費するだけです。
産業には何も貢献しなかった。
そのきわめて貴族的な懶惰文化を支えるために、徹底的な封建制が布かれ、農家は痛め続けられ、交易は重税に喘ぎました。産業は顧みられることもなく放置されたのです。

巨大な海洋交易都市だったフィレンツェ、ジェノバ、ヴェネツィア、ナポリが、大航海時代に乗り遅れ凋落していった原因は、間違いなくここにあると僕は考えています。イタリアは時代の先端から姿を消し、凋落してしまいます。イタリアン・ルネッサンスも、それを支える資金が枯渇してくると、見る影もなく萎んでしまいます。

僕が「イタリアン・ルネッサンスとは、ただ沢山の建物を作っただけ。そしてその内装を施す業者(芸術家)を育てただけ。
そのうえルネッサンス(復興)と謳いながらも、全てキリストに紐付けしたローマ文化のパロディに終始したもの」と勝手に揶揄する理由がこれです(^o^;;

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました