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シャブリ不撓不屈07/各荘園の中心に司教座を置くことで内需の拡大と充実を図ったフランク王国

シャルマーニュ(カール大帝)の手によって、拡大したフランク王国の領土を俯瞰的に見つめると、パリを中心に東はレマン湖のあるジュネーブあたりまで、西はロワール川・河口のナントあたりまで。南はアルプスを越えて地中海まで及んでいます。緩やかな馬蹄型の四角形です。
もちろん、かなり虫食い状態の統治で、完全なものには程遠かった。ゲルマン諸族からの侵攻は相変わらず続いていましたし、同じく北海からノルマン人の攻撃が激化していました。
ノルマン人とは、その名の通り「北の人」という意味です。所謂バイキングです。フランク人は総称して彼らをノルマン人と呼んだ。その弛まなく続く侵攻によって、最後にはフランス西側はノルマンジー(ノルマン人の土地)になってしまうのですが、ここではまだその前夜の事として話を進めます。

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カロリング家/フランク王国は、ごく初期から領土内に南北問題を抱えていました。
南は、ローマ時代から続く商業の地域です。商人たちが自立心強く商売をしていた。彼らが暮すプロヴァンスやラングドックの海岸の町々は、マーケットを地中海の向こうの国々に求めており、彼らが取り扱っていたのは香辛料、オリーヴ油、象牙などでした。支払いは金貨によって行われており、フランク王国の徴税も金貨でした。当初、南はフランク王国にとって数少ない巨大な財源だったのです。しかし実はこれがフランク王国に金の枯渇をもたらし、ついには十字軍による東方略奪へ繋がっていくのですが、それは先の話です。

比して北は、まだまだ未開な地だった。カロリング家/フランク王国は、此処を農業地帯な育てるつもりでいた。フランク王国をローマのような立農国家にするつもりだった。
カロリング家/フランク王国は、王国に忠誠を誓って共に戦った騎士たちに、土地・・アルプスから北の、獲得した領地を積極的に与えました。騎士たちはそこへ荘園を築く。そしてその荘園にカロリング家/フランク王国は大量の修道士を送り込む。栽培用種子と耕作技術、そして荘園管理に必要な経営技術・会計術を中央から提供したのです。こうした国家経営法が、最終的には言語的統一に収斂し、フランク王国で使用される言語が、北のオック語にまとまっていくことになるのです。中央から派遣される会計士たちは、複式簿記に近い形のローマ式の帳簿を使用し、10進法を完全習得しカラバスとよばれていた計算盤を駆使していました。古仏語の数表現は、数値化には全く不向きな言葉です(実は今でもフランス語は特異な数の数え方をする)。この圧倒的なインテリジェント格差・機能格差が、王国による地方管理を不動のものにしたと云えましよう。
こうして修道院と教会が、フランク王国に出来上がりつつある農村社会へ秩序と制度を与えて、地方の自治体としてのアイデンティティを培っていったのです。
それはローマが来た道でした。
普通に考えれば、経済の中心は南に構築されそうなものです。お金は南に集まり、海外との交易はすべて地中海に面した町々でおこなわれていたからです。
しかしフランク王国は、各荘園の中心に司教座を置き、内需の拡大と充実をはかり、これを見事に開花させました。そして各荘園に司教座都市を置くことで、都市間の交易を盛んにさせることで、荘園間の諍いを抑止してしまったのです。グローバリズムは戦争を回避する最良の方法なのです。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました