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ワインと地中海#57/シラクサ散歩05

アレトゥーサの泉を見ながら、町の中へ入るポンペオ・ピケラリ通りに入った
「町の中に入る道は細いものばかりなのね」
「ん。つい最近までオルティージャ島内は車の乗り入れが禁止されていた」
「ヴェネツィアみたい」
「ん。ヴェネツッアは太鼓橋という障壁が市内にいっぱいあるからな。物理的に無理だけど、オルティージャはなし崩し的に車両通行可になってしまった」
「でも石畳みがきちんとしていて、車が頻繁に通るとボロボロになってしまうんじゃないの?」
「それは有るな。アレトゥーサの泉の泉が観光バスで埋もれたら・・たしかに哀しい」
「アレトゥーサって女神さまなの?」
「いや。女神に仕えるニンフだ。女神アルテミスに仕えていた。ローマならディアナだ」
「あ。ここでもディアナ」
「アレトゥーサは、ギリシャにいたアルテミスに仕えていた。ある時、ペロポネソス半島にあるアルペイオス川の畔で水浴びをしていると水神に見染められた。辛くもアレトゥーサは逃れたが、水神アルペイオスは彼女を追いまわした。アレトゥーサはアルテミスに縋って湖に姿を替えて、西の小さな島に逃げた。それがオルテュギア島だ。いまオルティージャのことだ。アレトゥーサの泉が、あれほど海岸線に近いのにもかかわらず滾々と淡水が湧き出ているのは、ギリシアのアルペイオス川と地下水脈でつながっているからだ・・といわれている」
「ペロポネソスから越してきたギリシャの人々は、故郷が恋しかったのかしら。そのために産まれた神話なのかしら」
「そうかもしれないな。
アレトゥーサの話は、ローマの詩人・オウィディウスが『変身物語』の中で詳しく書いているよ。いわゆるギリシャ神話と云われる話は、ここが始まりだ。たくさんのギリシャの神々をローマの神に入れ替えながら、全体を有機的につなぐ壮大な神話群だ。ストーリーティリングとしても優れている。うちの本棚に岩波のワイド文庫であるよ。手にしてみるといい」
「でも神さまの名前が羅列してあるんでしょ?名前憶えるだけで、くたびれそ」
「・・ん。たしかに」

4・5階くらいの建物が、寄り添うように並ぶ通りを抜けてドゥオーモ広場に出た。少し先にシラキュース大聖堂がある。
「ずいぶん立派な大聖堂ねぇ」嫁さんが言った。
「聖マリア生誕メトロポリタン大聖堂Cattedrale metropolitana della Natività di Maria Santissimaという。
600年代半ばに聖ルシアの修道院長だったZosimoジシモスが建てたのが始まりだ。もともとはアルテミスの神殿だった」
「聖ルシア?」
「初期の殉教者の一人だよ。シラクサの裕福な家庭の娘だった。母の病気がきっかけでキリスト教徒になったんだが、殉教した。その聖ルシアの修道院がシラクサにあった。ジシモスはそこの修道院長だった男だ。彼自身も死後、聖人扱いになっている」
「600年代の半ばというと、もう西ローマ帝国は無くなってるのよね」
「ん。シチリアは東ローマの管理下にあった」
「ということは・・ローマ教会じゃなくて」
「ん。コンスタンティノープル教会の管理下だ。カトリックではない。
ここにあったアルテミスの神殿は素晴らしいものだった。それをジシモスは取り上げたんだ。しかし取り壊して新しい教会を作るだけの集金力はなかった。だからアルテミスのものだった頃の風合いを強く残した教会になった。ギリシャ的なオリエントな、他にはない特異な教会になったんだよ」
https://arcidiocesi.siracusa.it/chiesa-cattedrale/
入り口から長いカテドラルが有った。観光客は意外に少なかった。
「西ローマが滅んだあと、南イタリアは東ローマの管理下に入った。しかし政権は安定しなかった。なんども外威に晒されている。シチリアがモスレムの手に落ちた時は、ここはモスクになった。そしてノルマン人が北から下りてくると、再度キリスト教にもどるが、今度はローマ教会の管理下だ」
「いそがしかったのねぇ」
「その間、なんどもなんども再建と改修が繰り返されている。大きな改修は1693年に起きた大地震の後だった」
「大地震が有ったの?」
「1693年1月9日/11日に南東部のヴァル・ ディ・ノートで発生した大地震だ。6万人以上が亡くなった。当時人口15000人程度あったシラクサは、この地震で1/3が亡くなる大災害だった」
「あらあら」
「再建は時間がかかった。ここの大聖堂も修復されるまで150年くらいかかった。いま僕らが見ているバロック形式のデザインはそのときに大幅改修されたものだ」
聖堂内を見た後、広場へ出た。
「ギリシャの作家アテナイオスは、シラクサの話を描いているが、彼は、此処に巨大な金色の青銅の盾が海に向かって立っていたと言ってる。それが海を行く人々の大きな目印になっていたと、ね。今はない。ローマのガイウス・リキニウス・クラッススGaius Licinius Crassusが略奪しまくったからね」

大聖堂を出て、そのままドウモの通りを北へ歩いた。少し行くとアルキメデス広場に着いた。
「あら。ここ、さっきへテルへ行くときに通った道ね」
「ん。アルキメデス広場という」
「アルキメデス?」
「アルキメデスはシラクサの人だ」
「え~ギリシャの人だと思っていた」
「シラクサ出身だ。若いときは各地を歩いたらしい。亡くなったのはシラクサでだ。アルキメデスのエピソードは沢山あるが、実はよく判っていない。彼について書かれたものは、彼に会ったこともない、そのうえ100年以上も経ったあとのローマの歴史家たちによるものばかりだからだ」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました