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バスク/AOCワイン・イルレギー05

巡礼者の数は、社会の不安定と相関関係にある。したがってピエド・ポーを訪れる人々も緩慢に減少して行った。ピレネー西側の宿場は、巡礼者から採鉱場で働く人々に利用者が移って行ったが、東側の宿にはそれが殆どなかった。そのため、純粋に地場産業であるワイン生産者は、衰退減少の一途を辿った。
そしてフィロキセラ渦である。
バスクの農家に此れを防ぐ資金力はない。大半の農家が廃業に追い込まれてしまった。
19世紀後半から1945年代まで、バスクワインは暗黒の時代になった。

復活の兆しは1945年12月17日からだった。僅かに残っていたイルレギー村の生産者が共同組合を組成し、葡萄畑の建て直しを図ったのである。彼らの努力によって、現在イルレギー村で使用されている葡萄品種が整備されたのだ。
彼らは、耐フィロキセラのある(つまり北米製の台木の上に接合された)3種の品種を植えた。タナカベルネフランカベルネソーヴィニオンである。
キャラクターはボルドーワインに近い。メルローの替わりにタナを使っているので、優しさの質は違うが、原則的にはボルドーのそれである。
しかし、タナもフランも同地が原種であるというプライドが、生産者の中にあったのだろう。育てやすいメルローを選ばずに、タナを選んだことに僕は彼らの矜持を感じてしまう。

また少量生産されている白ワインは、中心がグロ・マンサンGros Mansengでこれも地元種である。僕はイルレギーの白をとても評価している。個性的で素晴らしい。しかし残念ながら余りにも生産量が少ないので、地元以外で呑む機会は中々得られない。
1970年、こうした生産者の努力はAOC獲得と云う形で実った。
現在、生産量は往時にとっても及ばないが、1970年代に比して3倍以上になっている。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました