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猫田による猫田のための、グァバジュース。

真夜中のコーヒーショップ
甘い甘いグァバジュース
プライドはおきざりで
君にすがるのもいいねぇ
―ポルノグラフィティ『グァバジュース』より

創作の中に出てくるアイテムは、
現実と架空の世界を軽率に、
お手軽につないでくれるものだ。

グァバジュースがまさにそれで、
現実にグァバジュースを前にするといつも、
すこしだけ真夜中になって、
コーヒーショップが心の中に現れる。

というと少しメルヘンチックすぎる。
もっと現実に則した言い方をするなら、
あのメロディが脳内で即座に再生される。

必ずしもグァバジュースに限らず、
のろのろのバスに乗っている時にも、
同じ曲の違うメロディが聞こえてくる。

いつもの私の生活に、
甘いジュースを飲みながら、
男がすがり付いてくる。

あるふとした瞬間に、
現実に創作の中の世界、
異世界空想世界が入り込んでくる。

そういう関係性の現実と創作が、
私は結構好き。

創作物のなかでも何より大好きなのは漫画だけど、
現実の隙間に彼らが入り込めるかというと、
そう簡単にいくものではないと思う。

少なくとも私が漫画を読んで好きになるとき、
絵柄もろともひっくるめて好きなわけで。
漫画の世界は一冊の本の中で、
収まりきってしまうとわたしは思っている。

もちろん、
良い悪いとかの話ではない。
私がジャンルを問わず縦横無尽に漫画を読めるのも、
そこがあくまで現実とは隔絶されているからなのだし。

現実に侵食する度合いというところにおいて、
例えば小説であったり例えば音楽であったりは、
世界の構築が私の想像力にゆだねられるがゆえ、
直撃すると気絶するかもしれないような、
そういうエネルギーを持っている気がしている。

耳から入るエンタメが持っている、
さりげない侵略力を忘れてはいけない。

それを我々は
いつも通っているスーパーのBGMとか、
うっかり見ていた教育テレビとか、
同じ時間に流れるコマーシャルとか、
そういうものから学んでいるはずなのだ。

初めてグァバジュース飲んだのは、
残念ながら真夜中のコーヒーショップでなく、
大学時代に通いつめた無国籍な料理屋で、
ちゃんと甘い甘かった。

これは余談ですが、

耳に頼らないエンタメでいうと、
偶然手にいれた手紙小説が、
するりと日常に馴染んできて良かったです。

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