超利己的 映画『ドライブ・マイ・カー』感想文。
前略
私とあのラストシーンの話をするために、この映画を観てくれ。
話をするためにとは言ったものの、言語化出来るかと問われれば全くもって自信がない。物語のはじめから最後まで走りきった最後の、ゴールとしての、作中劇『ワーニャ伯父さん』のラストシーンがあまりにも良すぎる。ただしその良すぎるラストシーンは、物語の道を辿っていかないとたどり着けないものだから、とにかく最初から最後まで映画を観ていただくしかない。もしかしたらみんな観ていて、ラストシーンが良すぎることは自明なのかもしれない。私以外みんな気づいていたのかもしれない。それならそれでいい。そうでないなら観てもらって、ああここのことかあーってなってほしい。頼む。
懸念点があって。かなり冒頭の方で、主人公の家福さんとその妻との、そりゃあ夫婦なんだからとかく言うことじゃないんだけど、それはそれは艶めかしいシーンが入る。とんでもなく。私はそういう艶めかしいセクシィ〜なシーンは苦手ではないが、観るたび内心とんでもなく焦っている。どうやって撮影してるんだろうっていう技術的な興味はかなりある。それはそれとしてめっちゃ焦っている。わああ…ってなってる。みんな艶めかしいシーンはどういう気持ちで観てるの…?私は何歳になってもずっと焦ってるけど…?今後も一生焦りながら観る、そういう自信はある。
ドライブ・マイ・カーを観る前夜、クリーピー 偽りの隣人という映画を観て、そちらでは西島秀俊さんが目も当てられないくらい散々な目にあっていて、やりきれない思いに耐え兼ねて、結果としてのドライブ・マイ・カーだったのだけれど実は。人生に断片として残り続ける映画でした。近くの映画館で長く上映してたのに、映画館で観なかったことを何年後かに悔いました。
気になる映画はちゃんと映画館で観たいね。
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