見出し画像

ちょっとフィクション/ウイスキーの小さな瓶。

お酒がなくなりそう、
いやちょうどなくなってしまった。
いつもより多めの珈琲ができた。
明日の仕事終わりにでも買って帰ろう。

私の家にはお酒が常備されている。
お気に入りのお酒という訳ではない。
小さなウイスキーの小瓶のことだ。

いつもより寝つきが悪い夜。
例えば知らない場所に初めて行く前の夜、
嫌な予感しかしない明日が待っている夜。
そういう夜には自分の背中をさするようして、
ウイスキーが入ったあたたかいものを飲む。

大抵の場合は牛乳をあたためる。
時々は珈琲をいれることもある。
そこにスプーン一杯のはちみつと、
量が増えたって分かるくらいのウイスキー。

どこか焼きたてのマドレーヌを思わせる、
香ばしいのか甘いのかも分からない香りがたって、
それだけで少し安心してしまう。
詰め込まれていた頭のなかがわずかにゆるむ。

そうっと胃に流し入れると、
あたたかい液体は体の中から順々に、
安心しきった体細胞へと変化していく。

体があたたかいうちに布団に潜れば、
そこはあたたかくて清潔な沼に変わっていて、
沼の真ん中にゆらゆらと浮かんで、
次気づいた時には朝を迎える。

眠れない日はいつもこうやって眠りについている。
つまりは睡眠導入剤の代わりなのだ。

さて、仕事終わりになった。
家に帰るより前にコンビニに入って、
いわゆる睡眠導入剤の入った小瓶を眺める。

常備するのなら酒屋とかスーパーで、
大きな瓶を買ったらいいんじゃないかって、
私もそう思う。
好きな味の大きい瓶を探そうよって思う。

だけどそうしないのは、
眠れない夜が訪れる未来への、
ささやかながらの抵抗なので。

だってウイスキーの大瓶を買ってしまったら、
この先ずっと長い間何度も何度も、
眠れない夜がやってくることを信じているみたいだ。

ウイスキー入りのホットミルクや、
ウイスキー入りの珈琲を飲むのは好きだ。
だけど眠れない夜は好きじゃない。

それなのに大きなウイスキーを家においてしまったら、
眠れない夜からうちにやって来てしまうかもしれない。
奥の手があるならいいだろって、
夜口笛を聞いた蛇みたいにして集まってしまう。

いわば願掛けなのだ。
この小さな小瓶がずっとなくならないくらい、
よく眠れる日が続きますようにって。
私は何者かにお願いしているのです。

小洒落たおじさんが描かれた小さな瓶を手にとって、
コンビニの店員さんにお願いをした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?