十三少年探訪記(バンクーバー)
第一部(短期留学への出発)
はじめに
僕は自分を変えたかった。
新しい世界に興味があった。
だからバンクーバーへの短期留学を決めた。
この話は僕の2週間の記録だ。
①出発の時
朝9:00浜松の家を出発した。
車で約3時間半、成田空港に向かう。
空港に到着したのが13時ぐらい、ランチは空港のトンカツだった。
16時30分の便なので、セキュリティゲートは15時ぐらいまで入ることとなった。
空港にいる間は緊張したが、
家族と別れてセキュリティゲートをくぐったら、冒険みたいでワクワクしてきた。
②飛行機に搭乗
飛行機内は窓側だった。
隣は陽気なアメリカンだった。
どこから来たのか?目的は?何歳か?など、色々聞かれたり、話かけられた。
You can do it!(あなたはできるよ)と最後に声をかけられた。勇気が出た。
③カナダの地へ
到着して、スマホの電波が繋がることを確認した。送迎が来ていたので乗り込み、ホストファミリーの家に訪問した。
ホストファミリーは明るいアメリカンであった。自分の他に日本人が二人いた。1人は18歳でバンクーバーの高校に通っているという。
もう一人は20歳で同じグローバルカレッジに通っていたが期間が長かった。
Facebookに初投稿した。
ピンボケの写真と、FatherとMotherの写真だった。
その日はクリスマスイヴだった。
じぃじとばぁばの家で作ったお茶を、FatherとMotherに渡した。とても美味しいと喜んでくれた。
食べ物🍖飲み物は万国共通なんだな。
第二部
④カナダ2日目クリスマス
時差ボケで朝起きれず、
クリスマスの教会で行われるミサには同行できなかった😓
部屋はトイレ付の個室である。
風呂無しでシャワーのみしかも3分程度。
水は貴重なため、湯船という文化がない。
この日はホストファミリーの家でクリスマスパーティーが開かれた。
孫や親戚が訪れて賑やかだった。
孫は男の子で3歳ぐらいかな?
とても可愛かった。英語が上手で大人と同じようにしゃべっていた。
英語は3歳時でも喋れる簡単な言語だと気づいた。
日本語はそれに比べてムズかしい。
喋るのは簡単だが、漢字や平仮名、カタカナなど覚えるのが大変だ。
パーティーの食事は豪華だった。ターキーがデカくて美味しかった。
⑤カナダ3日目
グローバルカレッジ(以降GC)に初登校である。
行き方は同じホームステイにいた20歳のお兄さんに同行してもらった。GoogleMapに書いてなかった方法だった。
初めてバスカードを買って、バスに乗った。同行してもらったので問題なく行けた。
GCでは18人クラスだった。8日本人、10韓国人、女の子は4人で日本人のみだった。
その日は簡単なオリエンテーションのみでダウンタウンを回った。
時計を見たり港を回ったりした。
しかし、恥ずかしがり屋の僕は一人であった。
GCの帰りのバス🚌は一人であったため、迷子になった😭
四つのバス亭があったが、逆方向に向かうものばかりで帰る方向のバス停がわからなかった。
結局、歩きでかえることになった。
スマホがあるので帰れなくはない。
時間はあるので、バンクーバーの街並みを楽しみながら帰ることができた。
一人で来たのだから、こういうことも覚悟の上である。
ただし、お母さんから電話が来ると、ちょっぴり寂しくなる。
お母さんの声が何かいつもと違うような気がした。(後にきいたのだが、風邪を引いていたようだ。😷)
第三部
⑥カナダ4日目
GCでの授業が始まった。
当然全て英語だった。
先生は日本語を一切喋れなかった。
『話している内容がわからなかった時は、質問するように』と書かれていた。
ただし、日本語で質問しても相手はチンプンカンプンだった。
日本の英語授業と違い、書くことでなく、話すことがメインだった。
英語の翻訳器が持ち物にあったが『使わずに質問するようにと』貼り紙があった。
準備しろと言われて準備したのに、
一度も翻訳器を使うことは無かった。
悲しい。
韓国人のクラスメイトは学校の合宿で来ていた。
彼らの英語のレベルは凄まじかった。
先生が『テストと宿題のどちらが良いか?』と聞かれた。
多数決で宿題になったが、僕は本当はテストが良かった。
⑦バンクーバー水族館
午後は水族館に行った。
その日は日本人の友達と少し話せた。
昨日より一歩進んだことが良かった。
ただし、水族館は一人で回った。
日本でもカナダでも友達を作るのは難しい。年齢も違うし、どんな人かもわからないので。。。
僕はボッチで回っていたが、少し話ができたことで心はとても軽かった。
電気ウナギをよく観察した。写真も送った。
ラッコが可愛かった。
クラゲはビニールみたいだった。
水族館は日本にいる時もいろんな場所に行った。
だからとても楽しかった☺️
第四部(トモダチ)
⑧カナダ5日目
午前は授業で午後サイエンスワールドに行った。
サイエンスワールドは自由行動でなく、全員で回った。
昨日話をした同じ日本人の5人と一緒に話しながら回れた。
彼らは京都、神奈川、東京から来た高校生、同い年の富山の中1だと言う。
様々な地域で年齢も異なる。
異国の地でトモダチと仲良くなれたことで、この旅は楽しいものになった。
タイタニック、
動物の剝製や皮がおいてあった。
日本の科学館や博物館とよく似ていた。
トモダチができたことで、
この旅が断然面白くなってきた‼️
第五部(グローバルカレッジ)
⑨カナダ6日目
この日は1日GCでお勉強だった。
GCは全部で12クラス有り、僕は下から4番目だった。
京都の高校生は3つ上のクラス、
神奈川の高校生が2つ上のクラス、
富山の同い年は1つ下のクラスだった。
1番上のクラスは先生が通うようなレベルであり、最初の試験によってクラスが振り分けられる。
僕のクラスは中1中2が多かった。
このクラスは18人であったが、ほとんど韓国人だった。
授業はSpeakingがメインで、神経衰弱ゲームをしたり記憶ゲー厶などして、コミュニケーションをした。
⑩英語教育について
日本の英語授業は文法詰め込み式だった。
同じ英語の授業でも全く違う学問であった。
クラスでは韓国人の同い年、玄(ヒョン)と仲良くなった。彼らの英語能力は高く、そのことに驚いた。
学校のカリキュラムとして、この一ヶ月のホームステイが組み込まれているという。
ここから既に日本との差を感じる。
いくら英語の文法を勉強しても、
そんなに堅苦しい話し方をしている人はほぼいなかった。
韓国みたいに一ヶ月ぐらい現地で生活させた方が良いのではと思った。何で日本はやんないんだろう??
ヒョンは学校のカリキュラムなので、スマホをGCに持って来れずに悔しがっていた(笑)
ランチの時など日本人も含めて少し話ができるようになった。ヒョン達から韓国のラーメンを分けてもらったことがある。辛すぎで思わず日本語で『カラッ』と、言ってしまった。韓国人は笑っていた。その後、英語で辛いことを伝えた。
韓国人とは英語でのコミュニケーションになる。
ヒョン達韓国人の英語は丁寧である。文法に則っているがとても早い。丁寧な分、カナダの人たちよりも早く喋る。キムチで舌をブーストしているかと思うぐらい早かった😓
最初はYes,No,OKがやっとだったが、授業の甲斐もあり、少しずつ話すことができるようになった🤗
クラスの生活もちょっと楽しくなってきた🌹
第六部(グランビルアイランド、一期一会)
⑪カナダ7日目
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=122112471932152636&id=61554579092174
グランビルアイランドと呼ばれる観光地にでかけた。
市場でショッピングしたり、ゲームが体験できる。お父さんとお母さんもここに新婚旅行で来たという。(後から知った)
⑫グランビルアイランド
僕はトモダチ達と卵に入ってVRしたり、音ゲーしたりと二時間ぐらいそこにいた。
クレーンゲームを代わりばんこにやって、協力プレーで商品ゲットしたりもした。
ポケモンカードもここで買った。
ランチはピザを買って食べた。
美味しかった😀
後ろからデカイカモメに突かれてピザを落としてしまった😭
ピザはカモメに獲られてしまった😓
よく見ると看板にWarningと書かれていた。
カモメ恐るべし。
トモダチ達と話をして、この旅の動機を聞いてみた。
みんな好奇心で参加していることを聞いた。
僕も同じで安心した。
しかし、せっかく仲良くなった東京の友達2人が明日で帰国する。1週間のプログラムの場合はここで終了となる。
せっかく友達になれたのに、悲しい気持ちになった。
この旅に参加してなければ出会うことのないトモダチ、まさに一期一会。
第七部(大晦日)
⑬カナダ8日目
この日は大晦日であった。
朝起きたらハッピーニューイヤーと日本から電話がかかってきた。
まだバンクーバーは31日だ。
そんな時差を体感しながら、
地球が丸いこと地球が回っていることを改めて実感する。
この日はGCもお休みだった。
僕もホームステイ先で過ごした。
親戚の人が遊びに来た。
お茶や色々な話をした。
何かカラオケもした。洋楽なのでほとんどわからなかったが、陽気なカナダ人に歌はよく似合う。そして先輩も歌がうまかった、僕は洋楽を知らなかったので、得意な歌を披露できなかった(笑)
僕もその頃、やっと会話のスピードに耳が慣れてきた。時折、話を振られるのでそれに答えたりもできるようになった。
家の中には、二匹の犬が居た。
Bearというデカイ犬とJourneyという小型犬だ。
僕は吠える犬は嫌いだが、二匹の犬は吠えなかった。
本当に可愛い犬だった。
僕は犬たちと遊ぶのが楽しみだった。
この家族は基本的にインドアで家で静かに過ごすようだ。
お兄さん達も部屋に籠もっていることが多い。
トモダチ達とLINE交換しとけば良かった。部屋でYOUTUBEみながら年越しを待った。後悔
年越しにうどんのような料理をもらった😓味はちょっと。。。不味かった
年越しの雰囲気が出なかったので、日本から持っていった小さいカップ蕎麦を作って食べた。やっぱり旨いなぁ。
ハッピーニューイヤー🌟
初めて海外で新年を迎えた。
お父さんに日本代表の結果を聞いた。
勝利だったので歓喜した😀
推してた田中碧選手の先制ゴール‼️もうFWで良くない(笑)
ちょうどその頃、日本では能登半島地震が起きた時間だった。
僕はその後、疲れて眠りに落ちた。
そして田中碧選手もアジアカップ代表から
落ちた。
第八部(新年)
⑭カナダ9日目
昨夜深夜まで起きていたので10時に起きた。
新年だからといって、変わっことはなさそうだった。
みんな部屋に籠もっていた。
此方の新年は初詣には行かないようだ。
食事も普通と同じだった。
日本とは大違いである。
ちょっと寂しいので、日本から持ってきたしめ縄と鏡餅をリビングに飾った。
こんなことなら、トモダチと連絡先を交換しておくべきだった😓
寂しいので、誰もいないリビングでテレビを見た。サウジアラビアのスーパーリーグを放送していた。
ベンゼマとカンテが出場していた。
お父さんから送られたPaypayお年玉がサーバーの関係で受け取れなかった😭
ネトフリもカナダ版に差し替わっていた。
呪術廻戦最終回が見れなくて残念だった。Youtubeは見れたのでそっちを見ていた。
そんな時、ミハルから家族で奈良に行ったと電話があった。
ちょっと羨ましかった。
不思議なほど何も無い。
穏やかな1月1日が過ぎて行った。
第九部(バンクーバー港)
⑮カナダ10日目
その日はGCが午前中にあった。
この頃になると、耳も慣れてきて多少話せるようになってきた。
午後はバンクーバー港へ歩きで向かった。
京都のソウシ、神奈川のタイチ、富山のヨッシー、そして僕の4人、
久しぶりに会えて嬉しかった。
バンクーバーは天気がずっと悪かった。
曇りと小雨の連続で太陽を見なかった。
此方の人は傘をあまりささない。
フードを被って濡れてもへっちゃらだ(笑)
僕達も真似をした。
港は大きかった。海の上に船のガソリンスタンドがあった。
ディズニーランドにあるソアリンのような乗り物に乗った✨
4人でいると何をしてもとても楽しい。
土日の反省を生かしてLINEの交換をした。
帰りにヨッシーとマックに行った。
夕飯もあったので半分こすることにした。
男気ジャンケン、負けた😓
チーズバーガーセットとチキンナゲットのセットで約$20(2300円?)、価格としては2倍以上であった。
サイズは日本の物より大きい。
ポテトはカリカリで味が濃い。
ハンバーガーのパティも肉厚。
ナゲットもソースが旨い☝️
ケミ旨ーーー。(化学調味料で旨くなっている。)
この日はトモダチとアフタースクールも遊べて満足な1日だった。
https://www.tokyodisneyresort.jp/tds/attraction/detail/219/
第十部(胸騒ぎのAfter School)
⑯カナダ11日目
この日は1日グローバルカレッジたった。
隣同士で英語で世間話をする。
隣は韓国の学校からきたハーフのライアンだった。ライアンは10歳だが、僕より英語が上手だった。
日本は能登半島の地震や羽田の飛行機衝突事故などを英語で説明した。
何て英語で説明してよいかわからなかった。似たような単語で説明すると相手も納得してくれた。
英語を話すことに対するハートはかなり強くなってきた。
ヒョンやライアンなどの韓国人と話す時は英語となるため、ハングル話せればよかった••彼らとコミュニケーション取りたければ英語となる。文法としての英語でなく、道具として英語が大事になる。(出川Englishバンザイ)
小中学校で教えている英語も必要なのはわかる。しかし、順番からいうと使わなければならない環境で『話す、聞く』ことから始めた方が良い気がする。理由は文法から学ぶと日本語を介(変換)しての勉強となり、逆に難しくなるからだ。英語は英語で学ぶのが良い。
韓国の学校はそれをカリキュラムで含めている。その時点で日本との差を感じてしまう。
⑰放課後
PM2:30に学校は終わった。
例の4人で街に繰り出した。
SUBWAYでサンドイッチと飲み物でみんなで色々話した。馬鹿な話とか家族の話とか色々である。ヨッシーは富山なので地震の影響を聞いたりもした。ひとまず、大丈夫だと聞いて安心した。
その後、トイザラスに行った。ポケモンカードをまた買ってしまった☝️ポケモンゲットだぜ‼️
大型ショッピングモールにも行った。無印良品やDAISOがあって驚いた。2階建てのショッピングモールだったが、エスカレーターとエレベーターが極端に少ない。しかも、人が多い。
似ているのだが、違う点も多々あった。
僕はバス、みんなは電車でその日は別れた。
みんなで過ごす放課後が1番楽しい時間であった✨
第十一部(GC最終日、スケート)
⑱カナダ12日目
この日でGCは終了となる。
みんなでメッセージカードを書いた。韓国のヒョンやライアン達ともお別れになる。彼らはまだあと2週間ここで勉強する。正直羨ましい。
優秀で自己主張の強い子たちが多かった。引っ込みじあんで人とのコミュニケーションが苦手な僕にとって刺激的な出会いだった。
異国の地で韓国の同年代と生活できたことは、僕にとって大きな宝物になりそうだ。
⑲スケート
午後はスケートだった。人生初めてのスケートがバンクーバーになるとは想像もできなかった。
僕は最初すっ転び過ぎて、何にもできなかった。青い補助器具は全て使われていたため自力で何とかしなければならなかった。お尻と足が痛かった。次第に滑り方がわかってきて、最後はそれなりに滑れるようになった⛸
こういう体験はなかなかできないので、アクティビティコースを選んで良かったと思った☺️
⑳ホットチョコレート
終わった後に例の4人でバンクーバーで人気の店に寄った。ソウシはカードを失くしてストップしたため、お土産を考えると現金が底をつきそうだった。そこでタイチが男気でオレンジジュースを奢ってあげた。何故かヨッシーも乗っかって奢ってもらっていた😳僕は勿論リンゴジュースを自分で払った。
店から出てホームレスがいた。ヨッシーは可哀想だと思ったのか、奢ってもらったオレンジジュースをそのままあげた😩
良いことをしたのだが、それはタイチが払ったのに。。。タイチの好意は回り回ってホームレスに行き着いた(笑)
その後散歩していたら、ヨッシーが喉が乾いたと言い出し、ジュースあげなければ良かったと😭
さらに僕に奢ってとねだって来た。
何でやねん。ツッコミ
みんなで大爆笑した。
仕方ないから僕のジュースのあまりを飲ませてやった。ヨッシーは天然なのか?
その日はそこで解散した。
第十二部(スキー→雪山遊び)
㉑カナダ13日目
その日はバンクーバーで過ごす最後の日であった。当初スキーを予定していたが、残念ながら雪が足りずに断念となった。
ウエルダンマウンテンはバンクーバーから二時間でありスクールバスで移動となった。
朝トラブルがあり、ソウシが集合時間に現れなかった。心配になりタイチ始めソウシに連絡を入れた。ソウシは電話に出たのだが、完全に時間を間違えていたらしい。あえなくその日はソウシをおいていくこととなった。
高1のソウシ、カード失くしたり最大のイベントに遅刻したり、なかなかやらかしてくれるキャラクターだった。
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid0JgSnwj7xEyWMez2tyeaQguTRpnwDiCyGbYGdctupiWZhHDSVHptABJV4JzujX7Yrl&id=61554579092174
㉒雪山でユウタさんとの出会い
雪山についた。山は綺麗で雪も結構降っていたが、確かに土が見えている箇所もあり、スキーには厳しそうだった。天気も悪かったので、レストランに入ってランチにした。
タイチはペペロンチー丿
僕はマルゲリータ($25)
ヨッシーはペペロンチーノとマルゲリータ😳
を頼んだ。
ウェイターさんから『日本人?』って話しかけられて、『はい』と答えた。
彼はユウタさんと言って、北海道出身で19歳からこのバンクーバーの雪山で5年間働いているということだった。
彼は僕たちが日本から短期留学で来ていることを、称賛してくれた。
さらにサービスとしてジンジャエールとティラミスをご馳走してくれた。
異国の地で同じ出身国ということで、人に優しくされたり、話しかけられたりしてくれて本当に嬉しかった。
日本人の暖かさに触れることができたことは、この旅の価値になりそうだ。
インスタリンク
https://www.instagram.com/p/C1-FIi5PZIS/?igsh=MWV0cDFvcmdwMjJ2NQ==
雪山からまた二時間で帰ってきた。
㉓ヨッシーとの別れ
同い年のヨッシー、1番の仲良しになった彼は羽田から帰るために便が異なる。
GCの時も彼のルームに行ってランチ食べたりした。本当に優しい天然なヤツだった。彼は過去に家族での海外旅行は何度か行ってたが、一人での海外は初めてだった。
この旅を楽しくしてくれた大事な友人である。
近い内に絶対富山に行く。
これが僕の帰国してからの目標となった。
㉔スーツケースに詰め込んで
明日は帰国のため、AM9:00にバスが迎えに来る。
僕はその夜、PACKINGを始めた。
MotherとFatherにその夜別れを告げた。
朝早いため、もし起きて無いと困るからである。
お兄さん達二人は残念ながら挨拶できなかった。
彼らは実はほとんど部屋に籠もっており、ほとんど見ることが無かった。でも、一緒にGCに行ってくれたことなど、存在自体が有り難かった。
Fatherは仕事をしていて、朝早く出ることが多く、Motherもまた夜に朝食とお弁当の準備をしてくれていて、朝に会うことは少なかった。
日本人なので気を使って
ライスを出してくれたが、
一番口に合わなかったのもまたライスだった😓MotherとFatherがもし日本に来るならば
美味しいご飯🍚を食べさせてあげたい。
このカナダ🇨🇦の生活に彩りを加えてくれた、皆さんに感謝したい。
色々な思い出もあったが、スーツケースには詰め込めない。
帰ったら。。。沢山話そう。
そう思いながらバンクーバー最後の夜がふけていった。
第十三部(帰国の時)
㉕カナダ14日目
朝起きてバスをリビングで待つ。やはり、FatherとMotherとはタイミングが合わなかった。
Bearとjourneyの二匹の犬はリビングで寝転がっていたので別れを告げた。
僕は吠える犬が苦手だ。
ただ二匹はそんなことはしないから僕は大好きだ。
バスは15分前に到着した。
『サヨナラ、バンクーバーのお家、ありがとう。』
Mother、Fatherと余韻を残しながら旅立った。
㉕バンクーバー空港とEチケット
空港に着いた。
昨日タイチと空港でAM9:30に約束した。
だが待てども待てどもタイチは来なかった。
LINEしても電話しても繋がらなかった。
AM10:15まで待ったが来なかった。
何かあったかと思って、悲しくなって涙が出てきた。混乱してEチケどうするかわからなくなってしまった。
仕方なくお母さんに電話をかけた。しかし日本は深夜2時。電話先のお母さんは寝ぼけていた。
『ファイルの中に入っているから確認して』とだけと伝えられた。
インフォメーションにいって要件を英語で伝えるとチケットは問題なく発券された。
荷物を預けて、セキュリティゲートを通ったら、何とタイチとソウシがそこにいた。
『なんでゲートの中にいるんだよ』
と、詰め寄ったら、
『ちょうど車に乗っていたりしてて。。。』
謝ってくれたので、了解した。
ケンタッキーのようなチキンを出す店で三人でご飯を食べた。美味しかった。
㉖飛行機内のイヤな奴
機内では中央座席の通路側だった。
行きは陽気なアメリカンだったが今度の隣は。。。
何か新婚旅行の人が交渉して若い兄さん(20代?)が座った。が席を交換して、デカイヘッドホンとマックブックを広げたその兄さんがきた。...最悪...人を寄せ付けない雰囲気がプンプン醸し出していた。
マックブックが僕の座席側にはみ出ていて、邪魔だった。それを伝えようとしても、ヘッドホンで遮られていた。
逆にちょっと肘がはみ出ても肘を叩かれた。
仕方ないが我慢していた。
ただ11時間は非常に長かった。
一番腹がたったのが
ウトウト寝てしまった時、急に腹に肘打ちを食らった時だった。始め何が起こったかわからなかったが。。。
隣のヤツはヘッドホンをつけていて平静を装っていた。殴り返したい衝動と悲しい感情を何とか抑えた。席を変えてほしかった。
やっぱりイヤな奴はいるんだな。
しかも日本人だ。
こういう奴と同じ国籍なのが悲しくなる。
これもまた旅のスパイスなのかもしれない。
よく考えるとバンクーバーで会う日本人は挨拶もしないし愛想がない。
カナダ人は皆親切で良い感じである。
日本人は世界から見るとヤバい人種に見えているのかもしれない。
僕はそうならないように気を付けたいと思った。
飛行機は遅れていたが、何とか機内から出た。
本当にホッとした。日本に帰ってきたことよりも、イヤな奴から開放されたことにだった。
第十四部(最終回)
㉗成田空港到着
ゲート出るまで
到着してからエコノミーは時間がかかる。
荷物を待っていたがなかなか出てこなかった。僕はタイチとソウシと待っていた。
お父さんからLINE電話がかかってきて驚いた。
『荷物が出てこないんだ。』と伝えた。お母さんもミハルも迎えに来ているらしい。
荷物は出てきたがソウシとタイチと一緒に出ようと思い待っていた。
出口は二つある。どちらで待ってるのかわからなかったが、出たらお父さんとお母さんとミハルは真ん中付近で逆方向を見ていた。
『ただいま』と、伝えたら驚いていた。
『髪が伸びている』とか、『カーキ上下一緒』とか、色々言われて😩、日本に帰ってきたことを実感した。
ソウシとタイチの家族も迎えに来ていた。
最後に三人で記念写真を撮った📷
㉘タイチ、ソウシとの別れ
ソウシは今日は空港近くで泊まるらしい。
タイチは神奈川だからそのまま帰るらしい。
高1のお兄さん達、ありがとう。
どこかで、また会いたい。
㉙自宅に向かう
僕は車🚙で帰るが、お腹が空いていた。
『何がしたい』と、聞かれて
『湯船に入って、日本食を食べたい』と伝えた。
ということで、空港に近い酒々井アウトレット前の日帰り温泉によっていくことになった。
久しぶりの湯船♨は最高だった。
お父さんにカナダの話を沢山した。
その後、そこにある和食レストランで美味しいものを沢山頼んだ。
日本食はうまくて安くてサイコーだった。
その後、車で帰ったのだが、いつの間にか眠りに落ちてしまい。よく覚えていない。
家に12時前についたことだけを覚えている。
おわりに
長くまとめて来たが
これでこの旅は終わりになる。
一言で表すと、とても楽しかった。
嫌なこと、緊張したこと、沢山体験できた。
全て良い経験になった。
この旅を準備から支えてくれた
家族、関係者の皆様に感謝したい。
最後にこの言葉で締めくくる。
また絶対に海外に行きたい。
この話に入りきらなかった話はここに https://note.com/mike_ma_20100907/n/n8f0d84e16c53
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?