日本に庭がある理由
又聞きした話なのですが
ぶんぶんうなずいてしまったので、
こっそりシェアします。
m(__)m
ある2人の若いアメリカ人の青年が
枯山水で有名な龍安寺というお寺に来ていました。
「たしかにきれいだ。
ただ、何がいいのか良く分からないな」
「たぶん、何か意味があるんだろうけどね」
それを小耳に挟んでいた
ある日本人女性がその青年たちに話しかけました。
「このお庭ってね。1450年にできたもので、その時から毎日、毎日お庭の石の並び方や、草木の手入れをする人がいるんです。」
「そのときからずっと?」
「そうなんです。長い年月でしょう?でもね、まだこの枯山水の石の配置の意味や意図は正確には分かっていないんです。そこは謎のまま。でも大切なことはその石庭の意味だけじゃないと思うんです。」
「じゃあ何が大事なんですか?
正直、この庭のきれいさ以外の意味を感じなくて。」
「それはそうですよね。私も最初は分からなかったんですけどね。今の時代、まあいつの時代もそうかもしれないですけど、変化の時代でしょう。毎日何か新しいことが情報として現れては、次の瞬間にはまた新しいことが起こる。」
「そうですね。ボクたちは常に情報にさらされている気がします。(笑) 正直、多すぎていいのか悪いのか分からないくらいですね。」
「そうそう。このお庭はね、立ち止まるってことを教えてくれている気がするんです。だって500年以上前から、丁寧に変わらない配置を保ってきている。人の手をかけて、わざわざ。スゴいことでしょう。」
「そうやって続けることって、簡単なことじゃないと思います。」
「世の中はどんどん変わっていくのだけど。このお庭には変わらない何かがありますよってことを伝えたいんじゃないかしら。そう考えたらちょっと嬉しくなるのよね。」
「そうか。お庭の見方に正解はないんですね。」
「その通りです。私は変化の時代だからこそ、変わらないものの大切さをこの庭から感じるんです。」
「お話してくださってありがとうございます。僕たちが、ここへ来た理由が今、分かった気がします。」
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たぶん、お庭に意図はあるんだと思います。
でもそれがたとえあったとしても、
時代に従ってその庭から感じることって
変わっていくのかもしれません。
それに正解なんてなくて
どう解釈するかがたぶん
その人その人の
歩く道なんじゃないかと。
この話を聴いて思いました。
そしてこういうことを
きちんと伝えることのできる
人間になりたいと思います。
精進します。
(‐人‐)
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