弱いままで嘆くな、強いものが罵倒するな、貴方の悩みも喜びも何者にも侵されるな

悲しみも苦しさも幸せも高揚も、どう感じどう生き何を思うか、それは貴方が決めるものだから、感情を何かに規定されてはいけない

「こうだからこう思わなくちゃ」なんて決まりは無いし、そう言う輩がいるのならぶん殴って黙らせればいい

Twitterである口論を見た

ある人は言う
「初体験は記憶に残るものだから大事にしなさい。好きな人とすると幸せを感じられるし、何年経っても甘酸っぱい大切な思い出になる。知らない誰かにお金で買ってもらったら、嫌な記憶しか残らない。時間と自尊心をなんだと思っているんだ」

これに対し、別の人は言う
「処女に金銭的価値のある世界に生まれて良かった。私はお金が欲しい。恋人としてもお金は発生しないけど、知らない男性にとっては私はお金出すほどの価値がある。涙が出るほど嬉しい。愛情よりも確実な金銭が発生するのなら、私はそちらを選ぶ」

客観的に見てどちらが万人受けする意見であるかは一目瞭然であるが、私はどちらかが間違っているなんて思わない。

上は、ごく当たり前なことだと思う。ふと思い出したとき、若く幼かった頃の自分を懐かしんだ時、こんなこともあったなとむず痒く、けど当時の自分に戻れるような大事な思い出としてそんなことがあってもいいのかもしれない。

下の意見は倫理的にきっと正しくはないのだろう。でも、価値があるものを決めるのは他人ではなく本人であるべきなんじゃないかと思う。自分がしたことを後悔しなければどちらでもいい。お金がなければ死んでしまう状況かもしれない、ならば生きるために手段として選択したのならば、誰が責められるのか。


私たちは誰かを責め、間違っていると貶め、正義という暴力を振りかざす権利をいつ得たんだ。そんな権利誰も得ていないのだから、個人の価値観や思想を自分の中の正しさの枠に押し込めようとしてはいけないのだよ。

だから、初めてが好きな人とじゃなかった人がまるで不幸みたいな言い方をしてはいけないよ。どうしてそれが嫌な記憶になると言い切ってしまうんだ。

お金が1番大事だと、5年後10年後50年後絶対そうだと言い切れる自信がどこにあるのだろう。それを我慢してでも好きな人に出会うまで取っておけばよかったと後悔しない日が絶対に来ないと約束できるのか。


真実は本人にしかわからない。理解できないことが悪なんじゃない。理解しようとせず自分の意見だけをぶつけ、それが正しいと疑わないことが悪なんだ。


責めてはいけない、否定してはいけない

信念を曲げてもいけない

自分のことは自分で決め、死ぬまで自分でありなさい

自分の事は自分で決めていいの

大丈夫、その自由があなたには許されている


私は後悔して受け入れたくても受け入れられなくて気が滅入るほど泣きまくり苦しんだ私を知っている。私と同じような人が少なくない数いることも知っている。


自分で決めることができたのなら、世間がどう言おうが、あなたはいくらでも正当化できるから大丈夫。大丈夫なんだよ。


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