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私と祖父とクレッセントハウス

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「古き良き時代」の面影を、現代までそのままに残したクレッセントハウス。2020年、ついにその歴史が幕を閉じます。様々な想いを胸に、作家として大きな影響を受けたこの場所についてを、… もっと読む
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#明治時代

「鹿鳴館の夜」、祖父による最後の案内状 (16)

〜ヴィクトリア女王時代のイギリス料理〜 日増しに秋も深まり、紅葉の美しい頃となりましたが、皆様方には益々御清祥のことと御慶び申し上げます。 「鹿鳴館の夜」大晩餐会も回をかさね16回を迎えました。20数年前1町ロンドンといわれた丸の内の煉瓦建築が次々と取り壊されていた頃、大正初期生まれの私自身のノスタルジーから、敢えて後期ヴィクトリア女王時代の宮廷メニューを参考とし、これを現代風にアレンジしてみました。元来英国の食卓はローマ時代から中世迄、野生豊かな、所謂野蛮食でありました

18世紀の晩餐会・料理の復刻、「鹿鳴館の夜」(15)

怒涛の2020年が終わり、2021年を迎えました。時代が大きく移り変わる中、私たちは、何を得て、何を喪失し、何に立ち上がり、何を守っていくのだろう。そうして、どんな新しい時代を、未来を作っていくのだろう。 年内に室内の整理が終わったと思われる今のクレッセントでは、しばらくの間、静けさの中、運命の成り行きを待ちながら佇んでいます。 昨年のコロナの影響では、このクレッセントハウスのように、伝統ある事業、歴史ある建物等多くの価値あるものが失われていったと思います。コロナ問題と経

「鹿鳴館の夜」昭和から平成へ。 案内と食器、メニューで見るレストランクレッセントの歴史(12)(13)(14)

芝公園に63年間の歴史を刻んだレストランクレッセント が、静かにその幕をとじる。このnoteは、そのことをきっかけとして、創立者であった石黒孝次郎が、クレッセントハウス内で展開していた様々な事を、手元にあるわずかな資料をもとにまとめるようになりました。 本日、閉店の日。投稿しはじめた当初は、閉店のその時までに、これらの資料をまとめようと思って取り組み始めたもののなかなか追いつかず、すくなくとも、年内いっぱいはまだ建物も残っているということで、引き続きまとめて行きたいと思いま

「鹿鳴館の夜」案内と食器、メニューで見るレストランクレッセントの歴史(4)

第4回 鹿鳴館の夜 ご案内 謹啓 爽秋の候益々御清祥のことと御喜申し上げます。クレッセントハウスの年中行事「鹿鳴館の夜会」も好評裡に回を重ね第4回を迎えることとなりました。本年は、明治31年(1898年)7月11日ロシア国キリウ・ウラジミロウイッチ大公を閑院宮載仁親王殿下が接待された時の献立を再現致したいと存じます。ご承知の通り、当時の帝制ロシア宮廷に於ける食卓は、フランス ルイ王朝時代の流れを汲み贅をつくしたもので、その国の皇族を招く宴席の献立には、当時の司厨部員はさぞや

「鹿鳴館の夜」案内と食器、メニューで見るレストランクレッセントの歴史(3)

候益御清祥のことと御慶び申し上げます。 扨クレッセントハウスの年中行事「鹿鳴館の夜」も、御陰様にて毎回好評理裡に回を重ね第3回を迎えることとなりました。 本年は、明治26年(1893年)当時陸軍軍医総監であった私の祖父が遺しました、その年11月4日宮中招待宴のメニューを復現して御覧に入れたいと存じます。(因に明治26年は日清戦争の前年に当たり、清国や朝鮮との外交関係は正に一触即発の状態にあった年であります。) 今年の晩餐会を計画するにあたり、私共は極力前回迄の経験を生かし、こ

「鹿鳴館の夜」案内と食器、メニューで見るレストランクレッセントの歴史(2)

謹啓 菊花の候皆様方におかれましては益御清祥のことと御慶び申し上げます。 扨去年の十一月三日文化の日より三日間にわたりクレッセントハウスに於いて明治時代鹿鳴館の西洋料理を復刻再現し御賞味戴きました お陰様にてこの催しは大変なご好評を得、毎年同じ様な夜会を計画する様にとの強いご要望が御座いましたので、別記の日取りを以て第二回鹿鳴館の夜晩餐会を開催させて戴きます 本年はたまたま今から百年前一八七六年(明治九年)の英国に於るメニューが手に入りましたので、この献立を織り込んだ明