マガジンのカバー画像

私と祖父とクレッセントハウス

23
「古き良き時代」の面影を、現代までそのままに残したクレッセントハウス。2020年、ついにその歴史が幕を閉じます。様々な想いを胸に、作家として大きな影響を受けたこの場所についてを、… もっと読む
運営しているクリエイター

#石黒孝次郎

クレッセントハウス、レストランのおもてなしの心に通じる骨董品たち(前)

下記は、昭和50年に発行された「小さな蕾」2月号より引用しています。 石黒孝次郎が骨董品にかけた想いはそのまま、レストランクレッセント のおもてなしの空間につうじていることがわかります。置物、食器、人、か会話・・・全てが調和されてはじめて、ほんとうのおもてなしの空間が生まれる。そんな空間で生まれた人間関係は、その先もきっとかけがえのないものになる。 このnoteでは、レストランクレッセント の歴史を、古美術商としての側面と、レストランとしての側面とを両方まとめています。

港区議会にて、クレッセントのことが紹介されました。

10月6日の港区議会決算委員会の総括質問の中で、石渡ゆきこ先生が、クレッセントについてと、石黒孝次郎夫妻のことまで触れてくださいました。 42;00辺りから、地域の文化的風景を記憶に残すという内容で、104;00辺りから、それに対して荒井雅昭港区長が触れられています。 https://gikai2.city.minato.tokyo.jp/g07_Video_View.asp?SrchID=2527 どんどん失われていく文化的風景、風情のある風景を、形はなくなっても、記

古代美術商としてのクレッセントハウス 〜西洋古美術の魅力〜 <後編>

前編 中編 次に、このケースの中が今のペルセポリスなどにつながった時代で、こっちの半分にあるのがスキタイ芸術と言って、イランの北部から南ロシア、中国の北の方までにかけたいわゆる騎馬民族のものです。 これは西北イランのアゼルバイジャンから、この銅製打ち出しの動物が40個ばかり飾りに打ち付けられた大きな棺が出てきて、その棺の中に骨と一緒にこの首飾りが出土したのです。これは350瓦ある純金です。 Q じゃあ、王侯貴族のお棺ですね。 石黒 おそらくそうですね。それからあの下

古代美術商としてのクレッセントハウス 〜西洋古美術の魅力〜 <中編>

(前編) 後編 Q これは中国の古いものですね。 石黒 そうです。中国の隋だと思います。こういうメダリオン、貼り付け模様、これは完全にイランあたりの銅器の打ち出し模様を陶器で真似したものなんです。ですから、唐三彩なんかのこういう貼り付けもようといったものも、こういったものから発展しているし、そういうような意味で面白いですね。イランと中国との交流という意味でこのコレクションに入っているわけです。 ここにあるのは、ガラスのビーズなんですけれども、古代ガラスで、上の段が紀元

「鹿鳴館の夜」案内と食器、メニューで見るレストランクレッセントの歴史(4)

第4回 鹿鳴館の夜 ご案内 謹啓 爽秋の候益々御清祥のことと御喜申し上げます。クレッセントハウスの年中行事「鹿鳴館の夜会」も好評裡に回を重ね第4回を迎えることとなりました。本年は、明治31年(1898年)7月11日ロシア国キリウ・ウラジミロウイッチ大公を閑院宮載仁親王殿下が接待された時の献立を再現致したいと存じます。ご承知の通り、当時の帝制ロシア宮廷に於ける食卓は、フランス ルイ王朝時代の流れを汲み贅をつくしたもので、その国の皇族を招く宴席の献立には、当時の司厨部員はさぞや

「鹿鳴館の夜」案内と食器、メニューで見るレストランクレッセントの歴史(3)

候益御清祥のことと御慶び申し上げます。 扨クレッセントハウスの年中行事「鹿鳴館の夜」も、御陰様にて毎回好評理裡に回を重ね第3回を迎えることとなりました。 本年は、明治26年(1893年)当時陸軍軍医総監であった私の祖父が遺しました、その年11月4日宮中招待宴のメニューを復現して御覧に入れたいと存じます。(因に明治26年は日清戦争の前年に当たり、清国や朝鮮との外交関係は正に一触即発の状態にあった年であります。) 今年の晩餐会を計画するにあたり、私共は極力前回迄の経験を生かし、こ

古代美術商としてのクレッセントハウス 〜西洋古美術の魅力〜 <前編>

祖父の話というのは、西洋美術や中近東古美術等に興味のある方であれば、なかなか興味深い内容ですが、そういったお話がわからなくても、方々国々を駆け巡り、夢に向かって自分の道を生きた人として、多彩な経験の引き出しから話をするので、自分らしさを生き方の軸としていく考え方が増えている今の時代の人が見ても色あせない内容も多いと感じていました。 また、クレッセントハウスの完成を見ずして亡くなった祖母ですが、美術品のコレクションは、その後も「石黒夫妻コレクション」とよばれ、常に寄り添い続け

平山郁夫氏による、「石黒孝次郎氏の思い出」

クレッセントハウスは、古美術商として誕生し、後にフランス料理店になりました。レストラン時代からをご存知の方で、美術商としての側面をご存知の方は少なくなってしまいましたが、クレッセントハウスの本当の顔は、古美術品で満ち溢れ、各方面の専門家の先生方が、クレッセントで食事を取りながら、英国風の建物の中、アンティークで統一されたインテリアに包まれながら、祖父と古く美しきものについて談笑している、そんな風景だったと思います。 いつしか、古美術商あってのレストラン、レストランあっての古

レストランクレッセント、63年の幕を閉じます

「其の作業は私にとって彫刻であり 絵画だった 比の館は作業に参加した人々の作品であった 夢を実現させる為に どんなに多くの個人や組織が努力された事か 其の方々に深い感謝の意を込めながら 私はこんな夢を思う こゝを訪れた人々が ”古き良き時代"に皆んなが持って居た あの心のゆとりを一瞬でも味わって呉れるようにと そして 一目この館を今は亡き妻豊子に見せたかったと 石黒孝次郎」 クレッセントハウス創立時レリーフより。 レストランクレッセント。1957年に設立されてから63年の

最愛の妻・豊子に捧げたコレクション 〜Mr. & Mrs ISHIGURO Collection 〜 古美術商として始まったクレッセントハウス

母がまとめた記事をこちらに記載します。 こちらは、祖父が寄付を希望した中近東文化センターより出版されている「古く美しきもの」から、館の責任者の方に承諾を得て引用させていただいています。 レストランクレッセントは、もとは、祖父が生涯情熱をかけた古美術商としてのギャラリーでスタート致しました。クレッセントハウスは、レストラン、ギャラリー、チャペル・・・全ての場が一つとなり融合しあって、初めて輝きをもつ館でした。 祖父にとって、クレッセントハウス設立を見ずして若くに亡くな