あの日、私はブチ切れた
真夏に歩き始めたVia Francigena(以下 「VF」と略す)は、秋を迎えたというのにまだ終わりが見えない。
毎朝目覚めれば、また歩くのかと、ため息を吐く。
それでも2ヶ月半、続けてきた。
その日、朝食を摂らなかったことだけが引き金になったわけではない。
34㎞という距離のせいだけでもなければ、1100mの登りだけのせいでもない。
行程の途中でコーヒーの一杯すら飲めず、水だけで凌いだことだけが原因というわけでもない。
途中で雨が降りだして気温が下がり、やっとのことで宿にたどり着き、まずはシャワー室へと急ぐ。
歩きの後のシャワーはご褒美のようなもので、肩に温かい湯があたりはじめると同時に疲れが癒やされていくのを感じる。
ところがこの日の宿は、いただけなかった。
シャワーヘッドから熱い湯が出てきて5分と経たないうちに冷たくなってきたのだ。
そのあと再び熱い湯が戻ることはなく、冷たい水で震えながら石鹸やシャンプーを洗い流し、手早く身体を拭ってシャワー室を出た。
夜にならないと暖房もつかない部屋は、雨のせいでしんしんと冷えている。
濡れた髪だけでも乾かせば寒さも和らぐとドライヤーをかけ始めたが、それも瞬く間に壊れた。
ガスコンロはあってもガスがなく、お茶の一杯も淹れられず、空腹を満たしたくても、19時にならなければレストランも開かない。スーパーマーケットで何でもいいから食べ物を手に入れようと思ったが、それも昼休みで閉まっている。
濡れた髪が体温を奪い、いくら着込んでも背筋が冷える。
もはや救いがない…と落胆した次の瞬間、
「もう歩きたくない!」
と叫んでベッドのへりに脱力して腰を下ろし、項垂れた。
なんでこんな辛い目をしてまで歩き続けているのか?
それは、これまで何度も沸き起こっていた疑問だった。
私は確かに旅を続けたかったし、くだらないパニックから逃れたかった。けれど、こんな試練じみたものを望んだつもりもない。だいたい巡礼など、私は信心深い人間ではないし、そもそもカトリック教徒でもないのだ。
こんな惨めな気持ちに追い込まれて、いったい私は何をしているのか。
「これは私の旅ではない!」
ひとたび溢れはじめた感情は、もはや止める術もなく、ポロポロと涙を流しながら、「もうこれ以上歩きたくない!」と誰かにと言うわけでもなく、何度も訴えた。
2000㎞の行程の1700㎞までやってきて、あと残りは300㎞。今までに比べたらあとわずかに見えるが、全て踏破したからと言ってどうということもない。
私が初めてVFを歩く人間でもないし、むしろ1000年以上の昔から、私より遥かに高い志を抱いて大勢の人が辿ってきた道だ。
やめる理由は続ける理由より多く思い浮かべられた。
いつやめてもいい。
もう十分歩いた。
無理することはない。
いやだ、いやだと散々叫んで感情を出し切った後、私は自分をなだめる言葉を並べ、その夜は眠りについた。