見出し画像

効率が悪いことに思い悩んでいた時の記憶

先週、熱海に行った時のメモを掘り起こしてきた。この時の僕は色々と効率みたいなものについて悩んでいたんだろうというのが伺える。
熱海駅でバスを乗り逃して、moa美術館まで歩いて行った時の記憶。ただそれだけだ。

moa美術館まで歩いて行った。
熱海駅からバスで行けば7分で着くのだが、僕は山道を30分歩いて行った。
何も志が高いからでは無い。12時00分にバスがでるバス停に12時01分についてしまったから仕方なく歩いて行ったのだ。次のバスまで30分待つのは耐えられなかった。
熱海駅からmoa美術館までの道のりはアホみたいな道だった。地図上で見るとこんな感じ。


真っ直ぐ行かずに右に振られ左に振られながら進む。
思えば人生もこんな感じなのだろうか。遠回りにしか見えない道を歩かされて、不満はあれど、自分にはその道しか見えていない。だからこの道を歩くしか無い。
そんな時に横道に階段が現れた。Google mapにも載ってない、謎の階段。僕は「これは好機!」とばかりに近道にしか見えなかったその階段を登った。でもこの道が本当に近道だったのか、わからない。僕にあるのはこの道を通ったらたどり着けたことだけで、近道かどうかなんて最後まで分からない。

(近道だったかもしれない階段)

でも、そんな道をコツコツ歩いていればたまにはご褒美もあるのだ。

「歩行者用近道」

ここまで歩いてきた僕だけが使える近道だ。これもどのくらい近道なのかはわからない。けどたまらなく嬉しかった。歩いてきた自分が肯定されている気がして。自分だけが気づくことができたものがある気がして。


そんなこんなで美術館にたどり着いた。僕がぜーはー言いながらたどり着いたそこには汗ひとつかかずにヒールやブーツでやってきている人が大勢いた。こういう人たちの方が効率がいいんだろうな。
でも僕には得たものがたくさんある。バスできてたらこの秋初めて遭遇した松ぼっくりにも気づかなかっただろう。気づいてもそれはただの背景に過ぎなかっただろう。この松ぼっくりを「この秋初めて見たやつ」とは思えなかっただろう。

(この秋、初めて見たこいつ)

どーせ辿り着く先は同じなんだ。だったら効率良くたどり着けなくてもいいじゃんか。
最近は「いかに早く辿り着くか」がフォーカスされる。爆速で成長するとかそういう文言をよく見る。たしかにそれが正義だと思うし、そうなれるようやっていくのが正しいのは僕でもわかる。
でもそう出来ないやつも居るんだよ。あと3分早くバス停に着くことが出来ないやつ。そんな奴はコツコツ歩くしかないんだよ。効率の良い人から見たら遠回りにしか見えないんだろ。知ってるよそんなことは。

でもこうやってコツコツ歩いて、辿り着くしか無いんだよ。その内、近道かもわからない近道に気づけるまで、みんなが気にも留めない松ぼっくりだらけの道を歩くしか無いんだよ。

こんなところまで読んでくれてありがとう!