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【日記】100日間毎日お墓参りをした話

今年の6月〜9月にかけて、100日間連続でお墓参りをしました。地域の経営者の勉強会で、100日連続でお墓参りをすると良いと聞いて(何が良いかは詳しくは不明!笑)なんとなく直感的にやってみようと思いました。というのも、私は昔からお墓が結構好きで。実家からも今の自宅からも車で5分の場所にあるので子どもの頃はよく犬の散歩やお花見やソリ滑りをした場所なんです。だから元々、お墓には楽しいイメージがありました。ちなみにお墓にいるのは父です。

100日間って、長いようで意外と短くて、それでいて結構達成感のある期間です。なんとか無事に100日お参りし終わった今、振り返って印象的だった日が何日かあります。

印象に残った日①取り憑かれない自信があることに気づいた日

ある土曜日、日中バタバタしていて、お墓参りに行っていないと気付いたのが19時半!という日がありました。もう外は真っ暗。霊園の正門も閉まっている・・・という時間帯。しかし「今日行かなかったらここまでせっかく何十日も続けてきたのに途切れてしまう(涙)」と思った私は、公園から霊園に繋がっている小さな裏道からお墓に入りました。・・・まるで肝試しでした!暗いし誰もいないし(誰かいる方が怖いけど)おそるおそる走って父のお墓の前まで行き、手を合わせて「ありがとう!!!」とすごい勢いで言って走って霊園を出ました。墓前の滞在時間は多分2秒ぐらい。

父のお墓から走って霊園の出口に向かっているときに、確かに怖かったけれども、他のお墓に眠っている方々に取り憑かれたり悪さをされたりすることはないな、という謎の自信があることに気付きました。お父さんが守ってくれるに決まってる、って思ったからです。私に何か悪さをする霊がいたら、お父さんが退治してくれるに決まってる。私は霊がどういうものなのかなどをよく知らないので、イメージとしては「リングの貞子みたいなやつが出てきたら超怖いな・・・」という感じなのですが(浅い)、漠然と、自分は大丈夫だと感じることができました。

印象に残った日②呪われない自信があることに気づいた日

100日間のうち、ときどき子どもたちをお墓に連れて行くこともありました。100日間終わってから墓石屋さんのお話を聞く機会があって教えてもらったのですが、お墓で騒ぐっていうのはやっちゃいけないことらしい。うちのスーパーおてんば娘たちを連れて行ったのは間違いだった・・・と思いましたが時すでに遅し。お墓が綺麗な感覚で並ぶ墓地は、彼女ら(特に4歳の次女)にとっては抜群に楽しい鬼ごっこスポットなのでした。ある日次女はっちは、父のお墓を踏んでた。ちょっと高い場所があったら絶対登ってみたいのがうちのはっちなのです。慌てて止めましたが、まぁ父が怒って呪ってくることはないなと思いました。父は私が小3、今の長女(みーちゃん)ぐらいのときに亡くなっています。孫が自分のお墓に乗っかってきたら、むしろ嬉しいのではないか、と勝手にポジティブな想像をしました。笑 父は私を呪ったりしないし、私や家族を呪おうとするやつらから守ってくれるに決まっている、という自信を持っていることに気付きました。

印象に残った日③何を言っても許される自信があることに気づいた日

そして1番印象に残っているのは、墓前で父に暴言を吐きまくった日のことです。生きていれば良いことも悪いこともあり、100日間の中では絶好調の日も絶不調の日もありました。絶不調の日、それでもお墓に行くのは苦じゃなかったです。お墓に行って、いつものように墓前で手を合わせて、感謝とか決意とかいつものフレーズを一通り言ってから、ふと、愚痴のようなものが口から出てきました。「なんで私がやんなきゃいけないの」「もう嫌だ〜」「どうしてこうなるの」などなど、最初は漠然とした愚痴をぶつぶつ言ってました。結構長い間、ぶつぶつ言ってたんですが、そのうち内省モードに入ってきまして、「もう嫌だ〜」⇨「こう感じているのは○○とかXXな自分の性格に原因があって・・・」⇨「いつも自分の○○とかXXな部分に悩まされてきて・・・」⇨「そもそも○○とかXXな自分が現れ始めたのは小学生の頃で・・・」⇨(中略。色々回想。内省)

⇨「つまりお父さんが早く死ぬのが悪いんだよ!?!?!?」

と色々考えた末、最終的に自分の至らないところを全て父が早く死んだせいにして責めました。(爆笑)「勝手に早く死ぬのずるいよ?」とか「お母さんがどれだけ苦労したと思ってるの?」とか私自身も自分の口からそんな言葉が出てびっくりしたんですが、同時になぜか涙が出てきまして、1人で号泣して帰ってきました。自分の至らないところが父のせいだなんて、基本的には思ってないんです。というか、至らないところが仮に父のせいだとしたら別にそれも良いし、何より自分の好きな部分が父からもらったものだと思っているので恨みは一切ないと言いますか。私自身が今在るのが、父のおかげなんだって思っています。なんというか・・・あれは八つ当たりだ。父に生まれて初めて八つ当たりをしたのです。そして改めて思いました。私の良いところも、悪いところも、お父さんからもらってる。そして、八つ当たりしてもお父さんは絶対私に怒らない。私が何を言っても許してくれる。私に甘いのです。それは生きていても、亡くなってからも、これからもずっと変わらないと思う。生きてる側の特権で、なんでも都合良く解釈しちゃうんだから。笑 亡くなった人は、都合良く解釈されて嬉しい場合も嫌な場合もあるかもしれないけど、生きている人のパワーになれているってことを思って欲しいなぁ。

明日は父の命日

お墓参り100日目、木々の間から見える空の色がいつもと全然違うものに感じました。明日11/2は父の命日で、亡くなってもう25年ぐらい?になります。小さかった私もあっという間に30代半ばです(怖)

100日間お墓参りをしたおかげで、父の命日を今年は特に強く意識することとなりました。私は今も昔も、父が生きていても亡くなっていても関係なく、父に頼っている・甘えているんだなぁ。私がいつも、「なんとかなる(なんとかできる)」「大丈夫」って思えるように強くしてくれている人の1人は、確実に父です。

お墓参り、お盆ぐらいしか行かないって人も多いと思いますが、たまには何でもない日に行ってみるのはどうでしょう?私は行ってよかったので、おすすめです!!^^ 

お父さんありがとう!


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