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リセットをして本当に大切なものに集中しよう

作業を続けていたり仕事をやっていたり、はたまたダラダラとネットサーフィンをしていると本来やるべきことや重要なことを見失ったりするので集中力をリセットすることは大切だと考えている。

もちろん一つの事に没頭して気づいたら15時間経っていたということは私もたまにあるのだが、そこまで没頭していない集中力が必要ない作業などをしてしまった時とかにはリセットするということをした方がいいかと思う。

いつも繋がっている状況は恩恵をもたらせたかもしれないが、手紙が届くのを1ヶ月楽しみにしていた時代から数時間既読無視をされただけでイライラしてしまう現代において改めてテクノロジーとの向き合い方や必要なものとそうでないものは考え直した方がいいと思う。

便利なのはいいが、それを使うかどうかの判断ができるようになった方がいいと思うぞ。

音声でもっと詳しく聴きたい方はどうぞ!


WiFiを切り通知をオフにする

私は日本でそこまで密に電話をする人はいなかったので電話を解約してかれこれ3年が経つ。今の所、ネットサービスの登録以外に電話番号を要求されることはないので実家で放置されてる電話番号以外は使ってないし携帯も持ってない。

実は私が日本にいた時には家にWiFiすらなかったので、家に帰るとネットでダラダラ動画を見たりSNSを見るといったことはせずひたすらコンテンツ作りに注力していた。

現在は流石に家にはWiFiがあるのだが、集中したいときはWiFiをオフにして制作に集中できるようにネットから自分を遮断する。確かに制作している時に「あの映像の動かし方どうやるんだっけ?」と調べたくなる気持ちが湧き上がるが、基本的に遮断をした上でできる限り作り上げてどうしても参考にしたければ後で確認する。

こうすることで「あの動かし方どうやるんだっけ?調べてみよう。」→「あ、オススメに出てきたこの動画も面白そう」→「ちょっとガキ使見てみようかな」→「あれ、もう2時間経ってる、、」という負のサイクルに陥らずに済む。

物理的に景色をリセット

私のメインの作業場はベッドの上で、私はここを王国と呼んでいる。王国に住んでいるとフカフカの枕も布団もあり、隣のテーブルに飲み物を置いてダラダラと作業ができて最高の気分だ。

しかし、人間というのは姿勢によって気持ちが変わる生き物なので、同じ場所で寝そべって作業をし続けるとどうしても気持ち的に緩くなってしまう。王国で権力を握り続けた王はやがて2世、3世と継承されるうちに堕落するものだ。

そこである程度時間が経ったら「めんどくせえなぁ」と思いつつも私はベランダに出て逆立ちをしたり、外にゴミ捨てに行ったりついでに色々と他のことをしてから再び王国へ帰還する事にしている。

ちなみに私が最も集中できた気がするときは大分市に住んでいた時、駅前に誰でも無料で電源とWiFiが使える作業スペースが準備されていたのでそこで椅子に座らず立って作業をしていたときはかなり集中できていた。

やはり人は背筋を伸ばして若干周りに雑音があったほうが集中できるのかもしれない。

人間の感覚をリセット

私は18歳の時から瞑想のようなものをほぼ毎日行なっているのだが、瞑想を行なっていると感覚をリセットすることができる。どういうことかというと、私の場合、目を瞑って自分が人間として持つ五感(視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚・)を意識した後にそれらの感覚を無くし、さらに思考を止め、感情を止める。

ついつい何かを思い出したりすると人間は思い出す時も目の筋肉を使うようで、目の付近の筋肉が動く。本当に無の状態になると顔の筋肉は一切動かずに手足を含めた体の感覚もなくなっていく。

すると、石や木と同じく宇宙に浮かぶ物体の一つという感じがするようになるので、人間の感覚をリセットすることができる。瞑想をするようになってか、たまに頭の中に「声」が聞こえることがある。

ちょうど1週間前に「感謝をした方がいいよ」的な声が聞こえたので感謝の日記的なものをやっているのだが、すると恩返しをしよう強く思えるようになり、サボってはいられないなと思いはじめた。

と、不思議な感覚が得られる時があるので人間の持っている感覚を遮断した先に何があるかを感じてみるのもいいかもしれない。

捨てることから始める

私は毎年何か大切だと思っていることを捨てるということをやっている。それこそ電話もそうだし、仕事もそうだし、人間関係もそうだし、色々ととりあえず捨てたり距離を置いてその後にどうなるかに興味があったりする。

例えば「電気ってないと困るから電気を捨てよう」と電気会社の契約を切った年は暗闇の中で過ごす美しさを体感したり、太陽電池で生活したので発電についての知識が色々と身についた。そこから自給自足について色々と調べたりと、電気を捨てなければ気づかないことが色々とわかった。

ちなみに2019年に捨てたものは日本の住民票と現金の二つなのだが、例えば現金を持たずにカードだけで生活すると物乞いをしている人にチップを渡すということが物理的にできなくなるという事に気づく。すると「これからは物乞いもデジタル化する時代になるのかも」といった想像をしたりする。

「私の周りは嫌な奴が多いんです」という人はさっさとその場を離れないとミラーニューロンによりあなた自身も嫌な人間と同じ行動をとるだろうし、嫌な人間と関わらなければいけない分ほかの良い人間と関わる時間がなくなり出会いもなくなる。

何かを手に入れてから捨てるのではなく、捨ててからの方が見える景色は変わる。大丈夫、正しい道を進んでいれば捨てた後もちゃんとついてくるし、ついてこなければ正しい道ではなかったとわかるだけなのだから。

人間なんとかなるよね

現代の僕たちはかつてのいかなる王様ですら手に入れることが出来なかったものを簡単に手に入れている。かつて貴族はコショウやスパイスを求めて争っていたが現代では「コショウよこせや!」とこめかみに血管を浮き出させて叫ぶ人間はいないし、人生最高の贅沢として御陰参りをしていた頃に比べるとそこそこ働ければ日本中どころか世界中どこでもいくことができる今の時代はかなり恵まれている。

しかし、人間の欲望は尽きることはなく、スマホを持ってることなんて当たり前なので次はもっとお金を!もっと評価を!もっと良い恋人を!、、、など満たされることのない欲望と把握できない現実の恩恵とのギャップにイライラを募らせたりしている。

正直私は多分、ホームレスになったとしても楽しく暮らしていく自信があるのだが、案外人間というのは考えや気の持ちようによってなんとか楽しく生きていける気がすると思う。一度、考えや固定概念をリセットしてみよう。

考えても見て欲しいが、人間を生物という枠組みの中のホモ・サピエンスと捉えると、最大の目的は「生き残る事」でありどんな形であれそれができている時点で幸せなはずなのだ。確かにそこから子孫を残すという次なる目的を達成しようと思えばハードルは上がるのだが、ホモ(人)サピエンス(賢い)という他の種とは違って知能を持った我々が残せるものは子孫だけでなく「生き様」だったりして、それが共有され何百人もの人の生きる糧になればそれは子孫を残す事よりも時に価値がある事になり得る。

アップデート!成長!高みを目指せ!という上昇志向の考えを持つのも人類を発展させる上で非常に重要ではあるが、それが全ての人に当てはまるというわけではないと思うので、一度いろんなものをリセットして自分の内面へと立ち戻り、本当に自分にとって大切なものはなんなのかというところから再スタートしても良いかと思う。

気楽にいこう。



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