”縛り”がゲームを楽しくクリエイティブにしてくれる
感染拡大を防ぐために外出などの規制が出てきたこの時代において、”外に出ちゃダメ縛り”によってピンチになる人もいればその状況をチャンスへと変える人もいる。
実は個人的な意見としては、日本人はこう言った”縛り”があった方がよりクリエイティブで想像力を使った行動を起こせると思っており、むしろ外出規制などの縛りは多くの人のチャンスになる可能性があると考えている。
むしろ外出規制を守らなかったり、給付金に安心したり売り上げが上がって特に縛られなかった人の方が実はチャンスを逃しているのかもしれない。
そこで今回は外出規制を含め、あらゆる縛りがどのようにあなたのチャンスになり得るかを書いていこうかと思う。
ゲームを深く味わうチャンス
(写真:2019年成田空港にて)
そもそも”縛り”という言葉はゲームの”縛りプレイ”から派生している。ゲームをプレイする際に本来のゲームのルールとは別に自分でルールを科すことによってゲームをより難易度にするものだ。
例えばマリオでは「コインを取らない縛り・きのこ取らない縛り」だったり、ドラクエでは「素手縛り・魔法使わない縛り」といったように、ゲームであえて自分を不利にすることで「やってやろうじゃねぇか!」という気持ちになって楽しくなるのだ。
我々も人生においてある程度の予期しない不利な状況、つまり”縛り”というものがあると思う。
「お金がない縛り」や「運動ができない縛り」、「コミュ障縛り」や「ブサイク縛り」など人よりも不利になる”縛り”がついてくると思うが、それらを「どうせ自分は」と悲観的になる材料にするのではなく、「”縛り”上等!それでも人生というゲームを楽しんでやるさ!」くらいの気持ちで立ち向かおうとすると楽しくなる。
「生まれながらのエリートでなんでも揃ってて今も金持ちです」という人より、「僕は実家貧乏&学歴ショボい縛りで人生を進めてみましたが、今はめっちゃ幸せなんですよ」と言える人の方が素敵じゃないだろうか。
今あなたが縛られている事を肯定してそれでも楽しむ覚悟ができれば、そこにゲーム性が加わって冒険のワクワク感と楽しさが生まれてくるかもしれない。
行動を変えるチャンス
「きのこ取らない縛り」が加わったマリオは無駄な戦いをしなくなるように、縛りが加われば行動が変わる。
例えば拙者がタイにいた時にパソコンに水をぶちまけ壊してしまうという事があった。その時拙者は文章も編集もできない縛りに合うわけだが「あぁ、壊れた。仕方ない。じゃぁ、撮影に専念してみるか。」とアクシデントが起きて10秒もしないうちに次の行動を決めた。
他にスペインにいる時に外出規制が起きてしまい、せっかくのスペイン滞在期間のほとんどを部屋の中で過ごさねばならないという時でも「せっかくスペインにいるんだから、スペインの食材を物撮りするか」と景色や人ではなく食材を撮影するという新しい道を見つけ出した。
(室内という縛りでスペインならではの食材を撮影することに)
その結果、細かなカメラのスキルと料理のスキルが上がる、食費の一部が経費で落ちる、撮影した素材を販売できる、動くのでストレス解消という一石五鳥の仕事を手に入れる事ができた。これも外出規制という縛りがなければ起きなかった行動だ。
ちなみに自分で縛ったことで言えばSNS断ちをした事でも色々と気づきがあった。
実は気がついていないだけで、何かができないからこそ専念したりできる事が増えることは多々ある。それに気がつくためにはやはり”縛り”やピンチを悲観的に思うのではなく「あれ?これってむしろチャンスなんじゃね?」という脳内会話をしてみるといいかもしれないぞ。
制約を逆利用するチャンス
アパホテルの元谷芙美子社長が
「ヨットは無風じゃ動かない。逆風でもいいから風が吹けば、ジグザグしながらも前に進める。人生は、アゲインストの風が吹いてもいいの。追い風でも逆風でもいいから、上手く操舵していけばいいんです。」
と言っているのだが、確かに”縛り”があった方が何もない状態よりもむしろ良い場合すらある。
例えば「無名縛り」の場合、フォロワーもいなければ影響力もそこまでないので、自分の思う事を発信したとしても炎上することはない。これがそこそこ有名になってある程度フォローする人が増えると下手な事を発信すれば「ふざけんな!」などの批判がやってくるため自分の思うように発言できず人の顔色を伺うようになったりする。つまり無名の方が意外と自由に発言したり行動できるのだ。
他にも予算の少ないカナダの監督が「じゃあ、全員部屋に閉じ込めてそこで撮影しよう」という事で未知の部屋から脱出するだけのCUBEという映画を作ったところ予想外にヒットしたこともあった。(個人的に好きな映画の一つ。)
実は縛りがある状態だからこそその状態を利用できたりするのだ。
こんな話もある。
デトロイトの小学校で実験用のネズミが逃げてしまった時に、先生はスティービー・モーリスという目の見えない少年に探してくれないかと頼んだそうだ。スティービーは目が見えない分、耳が発達しており逃げ出したネズミを見つけたというのだが、このスティービーこそ後にスティービーワンダーとして世界的にデビューするアーティストだったのだ。
その制約は弱さにもなれば強さにもなるのだ。
天才以外は制約が必要なのでは
でも制約はない方が良いと思う人も多いだろう。お金はないよりあった方がいいし、時間もないよりあった方がいい、、と。
では逆に考えて今あなたに「お金もいくらでも渡すし時間をいくらかけても良いから最高の仕事をしてくれ」と言われて何ができるだろうか。
ダヴィンチのような天才であれば12年もかけてモナリザを完成させるだろうし、ピカソのような天才であれば数十億を手に入れながらキュビスムという新たな絵画の時代を切り開くこともできるであろうし、ジョブズのような天才なら自分以外を思い通りに動かして時代を変える製品を生み出せるだろう。
しかし大抵の凡人と呼ばれる人間は「1万円でできる内容で明日までにイラストを作ってください」とか「自分のできるスキルで人を楽しませよう」などのある程度の制約がある方がやりやすいのではないだろうか。
天才や秀才というのは膨大な選択肢の中から本質を見極めてそれ以外のものをシャットアウトして自らに制約を科すことで偉大なものを作り上げる。
しかし人には役割があり、自分がコントロールできる選択肢の量にも限りがあるのであれば、むしろピンチによって制約を決められることの方が意識を集中させるためにも有効なのかもしれない。
(自由は不自由の中に。写真:タイのバンコクの水上ボートにて)
ということでまとめだが、外出規制をされ誰かのせいにして文句を垂れるのも”縛り”が加わったことによって変わった目標だが、それは建設的ではない。
せっかく”縛り”という名の人生というゲームをより面白くしてくれるカードを手に入れたのだから、頭を使って「そのカードで今の自分にどんな手を打てるか」を考えてみてはいかがだろうか。
意外と面白い発見があったりするぞ。
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