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自然の沈黙|自然の愛撫

  ある日突然、自然が沈黙してしまった。

  草は草で
  花は花で
  空は空で
   蝶は蝶で。
  
  私に触れてくる者は誰もいない。
  頬をかすめる風さえも、ただ通り過ぎる。
  それでも決して取り残された気はきない。
  世界はただ、そうあるだけ。

  もしかしたら、一瞬は寂しいと思ったかもしれない。
  感情は生まれた瞬間に
  私の手を離れて真空へと戻っていく。

  とどまる感情を味わうこともできなくなった。
  昨日まで燃えたぎっていた世界は、
  今、沈黙して、ただ揺れている。

  昨日まで美しいと感じていたものは、
  一瞬だけ視線をとらえて過ぎ去っていく。
  私はただ見ている。
  世界は明晰で、
  葉っぱのひとつひとつ、
  揺れ方の違いを見分けることさえできる。
  そして、通り過ぎていく。


  「それでは世界は平坦か?」と聞かれれば、
  「決して平坦ではない」と答える。

  私はその奥を見ている。
  表面の形に興味を失っただけ。

  蜂はただ飛んでいる。
  私の目は、蜂の形を追っているだけで、
  心はその奥の大きな何かを感じている。
  そして、それが本当は何かなのかさえわからない。

  あれほど感じた自然との一体感という喜びは
  どこかに消えてしまった。
  それを懐かしみ惜しいと思う気持ちは
  生じる前に消え去っていく。
 
  大好きなヒマラヤスギは私に手を伸ばしてこない。
  艶めかしかった桜の幹も、ただの大木。
  世界は狂乱の宴をとっくに終えて、
  静かな日常に戻っている。

  私は歩きながら、あらゆるものを感じながら、
  同時に去っていく中心に立っている。

沈黙1

  キラキラ輝いていた世界は、
  鱗粉をかけ忘れたかのように色あせた。

  「では美しくないのか?」と問われれば、
  「美しくないわけではない」と答える。

  全ての調和に心惹かれ、そのまま去っていく。
  全ての光を吸収してしまうブラックホールに
  迷い込んでしまったのだろうか?
  苦しくも悲しくもなく。
  沈黙したまま揺れる木々と寄り添って
  穏やかさの中にいる。

  孤独でも淋しくもなく、
  常に揺れ続けて形を変える自然とともに、
  楽しんでいるl

  大きな蟻が近づいてくる。
  不快感は一瞬で流れ、
  行きたいところに行けばいいさ、と目で追う。
  蟻は近づいたかと思うと
  踵を返して自由奔放に去っていく。

自然の沈黙2

  何も私の心を留めるものがない。
  ジョギングする人の足音が
  だんだん近づいて去って行くように、
  すべてが来ては去っていく。

  その音は面白いなと思う。
  様々な音が空間を通り抜け、
  全方向から全方向へと流れていく。
  そして音は常に消える存在。
  私と同じ。

  世界から『色足らしめているもの』が
  抜け落ちていく。
  色はそのまま見えるけれど、
  それが色であると感じる
  根本の何かが失われていくのだ。

  「では、色のない世界が美しくないのか?」と問われれば、
  「美しい」と答える。

  今まで「美しさ足らしめていたもの」の質が
  変化してしまったのだ。

  それが何なのかはわからないが
  自然の中で過ごす時間は心地よく確実に長くなっていく。

  ああ、よかった。
  あなたを感じると、体の中に熱が生じる。

  それでも世界は沈黙し、
  私のこの喜びは、
  かくして、さらに奥深く隠されていく。

  ああ、そうか。
  世界が私の心の顕れであるならば、
  私の心から何かが抜け落ちてしまったのかもしれない。
  それが何なのかはわからない。

  私はただ、森の小道を歩く。
  満足もなければ、不満もない。
  目の前の花は通り過ぎていくが、
  その奥の深い何かは変わらずそこにあり、
  私をそれを感じている。

  最初は自然の沈黙を
  困ったものだなと思ったが
  もう少しこの状態を楽しんでみよう。

  でもあなたにだけには打ち明けたい。
  このちょっとした困惑を。


沈黙3

(Photo: ©MikaRin)

*自然との融合の階梯:第二段階の感覚。




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