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なぜ絶望を深める必要があるのか

最近、勉強するのが楽しくてしょうがない。


学生時代はあんなに嫌だったのに
令和哲学を学ぶようになってからは
すべての物事をシンプルに整理できる感覚にとりこになって
あらゆる事象を再解析するようになっています。

毎晩やっている令和哲学カフェも
3期になってますますおもしろすぎて…


やーーーーはやくもっと哲学ブーム来てほしいな。
哲学おもしろいよーーー


***

そんな学びと実践にハマっている私ですが

本日から3日間、『OHRメソッド(Over the Human Relationship method)』に参加しています。

1日目である今日は、
人間の現在地を明確にして
絶望を深めるという時間でした。


((あらためてこう書くと、すごい内容だ…))


わざわざ地獄なんて認識したくないものだし
なんでそんなことしなきゃいけないんだって
過去の自分に言ったら全力で止められそう。。。



でも、今の私が思うのは
問題を直視しないで、現在地も分からないで
なんとなくで心からの幸せなんて、無理だったということ。

そもそも見ようとしていなかっただけで
この現実がいかに悲惨なのか、
人間の尊厳がどれだけ棄損され続けているのか…

人類歴史はずーーーーっと争いを続けてきているけど
そんなこと、人間がするべきことなのか?というような
どこかでずっと感じてきた課題意識に
明確にメスを入れられているような感覚


人間を客観的にみてみたら
本当に傲慢だし、自然を好き勝手破壊するし
環境汚染するし、戦争するし、核爆弾まで作って落としちゃうし
本当に、害悪でしかない。

だから今の人間に対してとことん絶望して
新しく生まれ変わる必要があるし
いい加減、人間にしかできないクリエイティブしようよって思う。


どれだけ人間同士、傷つけあえば気が済むんだ。
そろそろ、愛しかできない人類になったっていいんじゃないか?
せっかく地球に生まれてきたんだもん
楽しくて幸せで愛にあふれてた方がいいと思うんだけどな。



でもなかなかそうはできない人間の現在地。

そんな人間が起こすあらゆる事象の根本問題は【観点の問題】

人間は自分が観ている世界から一度も自由になったことがなくて
思い込みの中で生きていて
自分も相手も勝手に自分の基準で決めつけているのに
それにも気付かずに人と出会ってコミュニケーションしてる。


分かったような気になってるけど
相手のことなんて全然わかってないんだよね。
自分がみたいように相手を決めつけて認識してるだけ。


うーーん、、、、
改めて書くと、中途半端な希望は変化を止めてしまうなと思う。。。

なんとなく幸せとか
条件づけられた愛とか
そういうの、もういいよって思う。

なにがあっても、なにがなくても
相手が愛しくてたまらない状態になりたいじゃんか。


とことん人類に絶望できるから
0から無限の希望を描くことができるし

人間の本当のすばらしさを理解できるから


今はとにかく、絶望深めてます…('ω')


この絶望の社会から
どう大転換のドラマを起こすのか。

映画監督になった気持ちで楽しみたいです。



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