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日常の小さなトラウマ「みそしるとごはん」

日常生活には、小さなトラウマがたくさん転がっています。幼少期に丸トリートメントを受けた子供は、「小さなトラウマ」を抱えやすいです。

毎日記録する習慣を付ける以前は、トラウマが蘇る度にブログに起こすようにしていました。

今回は、「みそしるとごはん」です。正直、フラッシュバックって、すぐ忘れてしまうんですよね。だから今コレを打ち込んでいる私自身「なんだっけ」と思っていました。記憶は各人格が持っていたりするので。

トラウマ「みそしるとごはん」

 色々あって、ガラスのハートがバッキバキに割れてしまいました。もともとつぎはぎでセロテープで貼り合わせていたのですが、この度のダメージで粉々になってしまったので毎日拾い集めています。

 それは小学校1年生だったか2年生だったかのある朝の出来事です。

 その日はどんよりとした雲が垂れ込めていました。

 みかぽんは洗面所で顔を洗い、いつも通りに食卓につきました。

 みかぽんの食事の席は、テレビが背中側にあって、父親の向かい側です。

 今日は準備が早かったのか席についている人はいませんでした。と言っても、朝食をその時間に食べる人はみかぽんと父親だけです。

 朝は納豆ごはんだったり、梅干しだったり、魚だったり、ふりかけだったり。

 塩気のあるごはんのおかずがついていました。

 その日は何もなかったのです。みそしるとごはんはありました。

 少しして父親が食卓につきました。

 父親は卵焼きか何かをおかずにごはんを食べています。

 みかぽんは勇気を出して父親に訴えてみました。

 みかぽん「今日おかずないね」

 父親「味噌汁とご飯でもうまいよ」

 みかぽん「そうだよね。」

 みかぽんは自分が間違っているんだと理解し、おかずを求めた自分は卑しいと思いました。味噌汁とごはんを口に詰め込んでいきます。

 ごはんのつぶの歯ごたえと味噌汁の出汁の味を頑張って感じ取るかのように。

誤学習(歪んでしまった認知)

 みかぽんはこの事から2つのことを学びました。

 ・おかしいと思ったことや、困っていることを訴えても、解決しないこと。

 ・おかずを求めるのは贅沢だし卑しいことで、自分なんかが訴えて良いことではなかったこと。自分はどんなにひどい仕打ちも我慢しないと、この家では生きていけないんだったということ。

回復のための新しい解釈

 ・当時のみかぽんには、何かおかしいことを感じ取る力があったこと。

・父親は怖い人なのに、勇気を出して自分のおかずがないと当時のみかぽんが言えたのはすごく頑張ったんだということ。

・みかぽんは家族の中でも一番大切にされるべきでない存在と思っていたから、訴えるためには勇気が必要だったけど、もし本当の家族なのだとすればそんなことは絶対にないということ。

・みかぽんのおかあさんは、ADHDなので、朝からテンパって忘れた可能性は高い。悪気はなかったかもしれない。

・もし、今自分が父親の立場だったら、みかぽんに「おかずがない」と言われたら、卵焼きを半分にして渡してあげたいし、料理を担当しているおかあさんに「みかぽんのおかずがないから冷蔵庫から何か出してあげていいかい」と聞きたいし、用意してあげたいということ。

思ったこと(2020/3/20時点)

 フラッシュバックはきついです。でも、これからは自分を大切にできるように、蘇ってくることと向き合って、新しい解釈を与え、回復の物語を書いていこうと思っています。

 今回も食べ物シリーズで最近蘇った記憶です。子供の頃、こんなようなちょっとした差別がいっぱいありました。もしかしたらおかあさんはADHDだから悪気は無かったかもしれないです。

 でも私は弟と比べると、両親との心の絆が細かったです。細いというか脆いというか。つながりの弱さと不安定さを感じていました…

 常に「この人たちのことはほんとうにしんじていいのかわからない」と思いながら過ごしていました。不安だったのです。

 だからこういうことがあると「やっぱりきらわれているのかな。」とすごく落ち込んでしまいます。

 認知の歪みは、かなり幼い頃からのようです。愛着形成失敗は大きかった…今度詳しく書きますが、私は赤ちゃん〜3歳頃まで養育者がコロコロ変わったんですよね。そのせいかと。

 愛着スタイルの診断が簡単にできるサイトで調べたら、私は拒絶型でした。拒絶型って絶望感大きいですが人との距離は一定に保ちたいというのは当たっています。

 愛着スタイルが気になる方は調べてみてはいかがでしょう^^

心理テスト−愛着スタイル診断(ECR-GO)

トラウマを癒すには、当時の自分に共感してあげること

トラウマを癒すためのリストラティブナラティブを行っていました。
この日記を書いた当時は、離婚するかしないかの時期で、フラッシュバックや人格交代が起きまくる混乱状態でした。

混乱する生活の中、少しでも落ち着いたときにはパソコンを開き文章を入力し続けました。文章にすることが癒しになると気づいていく時期でした。

文章を一度書き終えてから、当時の自分に心から共感し、新しい解釈を加えるようにしています。

トラウマが蘇ってきたときには無視をせず、優しく寄り添うようにしていました。毎日たくさんフラッシュバックする日々でしたが、毎回頭の中で傷ついている自分を抱きしめたり撫でてあげました。

虐待を受けてきた子供は、親からの愛情は一生受けられないことが多いと思います。自分を優しくできるのは、やっぱり自分だけだったのです。

2020/3/20ブログを加筆修正しました。


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