見出し画像

性虐待のトラウマと向き合う

すぐに消える、性虐待の記憶

性的虐待の人たちは、被害にあった記憶を忘れてしまうことがよくあります。私もそのうちの一人です。
忘れてしまうと、思い出さないから幸せです。
でもそのわすれてしまうことが、後の悲劇を生むのです。

ふと蘇る。でも言えない性的虐待

私は、暴力の実家から逃げ出して、そのとき受けた傷を乗り越え、PTSDは良くなったと思っていました。あとは、このまま家族なんて持たずに、一人で、たまに友達と生きていけばいいんだ、そう思っていました。
しかし先日、ご縁があって、他の虐待サバイバーの方々とお話することがあり、自分が性的虐待を受けたことを忘れてしまって、記憶を解離させてしまっていたことを思い出しました。

虐待によって、人に打ち明けるハードルは変わります。
虐待にはいくつか種類があって、以下のようなものがあります。

  • 身体的虐待

  • 心理的虐待

  • ネグレクト

  • 経済的虐待

  • 性的虐待

私は身体的虐待、心理的虐待、性的虐待の被害に遭いました。心的的虐待と心理的虐待のことは、比較的人に打ち明けやすいです。今では当時のことをふざけて話すことができるくらいです。人によってはあまりにあっけらかんと話すので引いていることもあり、最近気をつけねばならないとおもっています。
それでも、「性的虐待」だけは、人に打ち明けるのがすごく難しいです。
どうしてだろう?と同じサバイバーの人と考えてみました。

性的虐待を人に打ち明けられない理由:恥の感情を伴う

なぜ性的虐待のことを人に打ち明けられないのか。それは、恥の感情を伴うからです。
被害にあっている最中、苦しさと、悲しみと、悔しさと、怒り、恨みなどすべての負の感情を味わうと同時に、恥ずかしい、という感情を感じます。
この恥という感情が非常に厄介なのです。

身体的虐待や心理的虐待のことは、「いかに親の頭がおかしいか」「どれだけ親が悪いことをしたか」話すことができます。(これは私に限っての話で、暴力を受けたことを話せない人もたくさんいます。)しかし、恥の感情を伴う性的虐待のことは、恥ずかしいので話せないのです。例え虐待サバイバーたちを前にしても、性的虐待を受けたことがある相手以外には話せないですし、その内容は同士だとしても言えないと思います。
それほどに、恥ずかしいし、人に話したくない、辛い記憶なのです。

恥ずかしいことは、忘れてしまいたいと思いませんか?なかったことになって消えてしまったらとても楽になりそうじゃありませんか?
人間の脳ってとてもよくできていて、ちゃんと忘れることができるようになっています。その時の記憶だけすっぽり消えるんです。これを「解離(Dissociation)」といいます。私も消えました。すっぽり消えて、ずっと忘れていました。
あまりひどくなると、数年前に私が記録していたように、解離性同一性障害(Dissociative identity disorder)となり、その被害を受けた自分だけが別人格として勝手に行動するようになってしまいます。

私は、身体的、心理的虐待について丁寧に含めて治療していった結果、1年半ほどでほとんど人格交代をしなくなり、ここに人格の行動を書くこともなくなりました。そう、私は「もうPTSDも解離性障害もなおったわ」と思っていました。実際、私は体調を崩す前と比べても殆ど変わらないくらい良くなっています。

しかし先日、虐待サバイバーの方とたまたま性的虐待の話題になりはっと記憶が戻りました。正直そのあとは、少し調子が悪くなりました。しかしもともとうつ状態でもないし、元気いっぱいなので、「また治そっか」と前向きな気持になるまでそう時間はかかりませんでした。
今回、ここに記していくのも、私が、せっかく思い出した記憶と、トラウマについて考えたことを整理し、忘れないようにするためです。

ここから先は

3,705字

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?