そのままの言葉を放つ
最後の挨拶をするときに
言葉に詰まり数秒何も言えなかった。
子供達もいる前でそういう状態になるのは
もしかしたら初めてだったのかもしれない。
後で娘に「ミカちょっと泣いてたよね?」と
言われたのでなんて答えようか一瞬迷ったけど
素直に「うん悲しいんだもん」と答えた。
「それはそうだよね」と娘がやさしく返してくれた。
小一の娘は父が元気な時を知らない。
病院や施設にいる痩せ細った姿しか知らなかった。
小さい頃は面会も自由にしてたけど
コロナ以降は子供は直接会うこともなかった。
テレビ電話を最後にしたのは夏だったけど
人となりを知るような交流までは最後までできなかった。
遺影の写真は私が撮ったものになった。
10年前の父の姿。母が亡くなった頃だ。
近所の夏祭りで長男と並んで写っている写真だ。優しい笑顔で写っている。その後10年ですっかり痩せ細ってしまったけど
この頃の父はみんなの心の中にある一番父らしい姿だった。
葬儀の日はずっとその笑顔を見つめながら過ごした。
娘と一緒に遺影と棺桶の中の父を交互に見た。
この写真の話や父のことを話した。
「おじいちゃんやさしそう」と娘が言い、棺桶に手を振った。
数年前の母の遺影も私が撮った写真を使った。
妹の結婚式の時の写真だ。
フラワーシャワーの花びらを持って微笑んでいる。
母は内弁慶なタイプで家の中ではふざけたりしてるけど
外の人にはちょっと壁を作る。
だからわかりやすく他人(カメラマンとか)の写真よりも
私が撮るものは優しくいい顔になった。
母の葬儀の時に母との思い出を振り返りたくて
母や家族の写真を使ってスライドショーを作った。
その時のことを妹が覚えていて
「お姉ちゃんまた作ってくれない?」と頼まれた。
葬儀の二日前の夜に完成した。
380枚のスライドショーにはモノクロの父の小さい頃のものから
私たちが小さい頃から今までの写真を入れた。
父の小学生の頃の絵や祖父母の写真も追加された。
父が生まれた時の命名の書まで入った。
走馬灯を作った気分だった。完成を一人で見て泣いた。
当日はみんなバタバタとしていて
スライドショーは見たり見なかったりしたけれど
きっと前の日の夜わたしが見るためのものだったんだなと
思えた。特別なスライドショーだからそれでいい。
6年前に私は
自分を傷つける言葉やその関係性から逃げた。
けれど父との最後の数週間を過ごすにつれて
それと再び向き合うことになった。
みんなそれぞれに父の病気と現実に向き合って生きてきた。
淡々と現実と向き合う
何もなくてもそこにいる
そこで成果を求めない
ただ在ること
一緒に過ごすこと
そうしていくうちに
私が見ているもの、私に見えているものは
ほんの少しだけで
勝手におねえちゃんという言葉に翻弄され
私が出来なきゃいけないと思い込んでいたこと
実際はまるで出来なくて認めるのが苦しかったことに
気づいた。
自分が逃げていたのは
出来ない自分を勝手に責める自分からだった。
自分ができないことを責めずに認める。
他の人ができることをそのまま認め感謝する。
私がみんなの成長を許せば良かっただけのこと
私ができないわたしを許せば良かっただけのこと
素直にそのままの気持ちを出せば良かっただけのこと
葬儀の後、素直に娘に「うん悲しいんだもん」と言えた。
そんなふうに
私にできるのはそのままの言葉を外に放つことだけ。
それだけで良い。
6年前の心を締め付けていたLINEの通知はもうない。
やさしい気持ちで
メッセージを開くわたしがいる。
素直な言葉を外に放つ。
そのままでいる。