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自分が書く意義ってあるのか3日間くらい考えた結果

文章を書く意義。
noteを書く意義。


このテーマの議論はもう沢山されていている。そして私もそれなりに、色々な人の”書く理由”に触れてみた。でも自分に置き換えるとなんだかしっくりこなくて、なんで自分は文章を書いているんだろうかと、立ち止まって考えることがある。いや、最近ずっと頭の片隅で考えている。

今年の3月まで大学院生だった。ちょっとだけ研究をかじった身として言えるのは、研究には意義が求められるということだ。

その研究を行う意義は?
その手法を用いる意義は?
その手法でなければならない理由って?
オリジナリティってどこにあります?
その研究やる意味あるの?
勉強不足で恐縮ですが…(これは関係ない)


ひぇ。

まぁ研究上のやり取りはこんなイメージだ。

"過去にやられていないから"というだけでは研究の意義としては不十分。過去にやられていないならば、やられていない理由がある。やる必要はあるけれど検証が難しい、あるいは、やる"意義がない"のだ。これまでの研究にも課題は必ずある。まだ明らかになっていないけれども明らかにする必要があること。それに取り組むことは確かに世の中の役に立ちそうである。

あぁ。

あぁああ。

先ほどから心の声が漏れている。(漏らしている。)
頭の中はこんな感じなのだ。

私が書く意義は?

ない。
研究上の意義の定義に当てはめてしまうと、ないのである。

世の中には沢山の本がある。文章がある。作家がいる。もちろんそれらを否定しているわけでは全くない。実際沢山の人がそれによって救われている。あまり本を読まない(読めない)私にさえ、大切にしている本がある。意義は溢れている。もう既に。


そんな世界で。

"自分が"書く意義とは。

(オリジナリティがないよねぇ。)
(書く、ましてや公開する意味あるの?)

心の中の深く腰掛けた自分が偉そうに言っている。



実はもうなんとなく答えは出ている。


「書きたいから」
「意義なんてなくてもいいよー」


そんなもんだと思うのだ。

研究も、確かに研究内容についてはその意義を求めなければならない。しかし、それではどうしてあなたは研究したいのですか?と尋ねられたら、それは研究したいからでしかないだろう。中には「自分には研究という使命がある」と思っている人もいるかもしれないが、少なくとも私はそんなことはなかった。ただ研究したいテーマがあって、それを研究して、それを発表したら興味を持ってくれる人もいた。そういうものなんだと思う。


無理やり自分が書く意義を考えるなら、今は自分のためというのが一番しっくりくるかもしれない。ふと過去の自分のnoteを読み返すと、励みになることもあるし、今との考え方の変化を実感して、ちゃんと成長してるんだなぁと気づけることもある。日記に書くのもいいけれど、公開してみることで、よりわかりやすく整理しようという気持ちになる。そう、自分はゴチャッとしたものを整理していくのが好きだ。どうやったら相手に伝わるかを考えて整理するのが好き。これも今書きながら気づけた。書き出すって最高。

あとは、今はわからなくてもそのうちわかることが人生には多いと思っている。今までもそうだった。
だから今は意義がはっきりしていなくても、そのうち見えてくるかもしれないとも思っているし、書き続けているうちに変わっていくものでもあると思っている。


それにそれに、私はお笑いが大好きで、見るたびに元気をもらっているけど、本人たちが笑っちゃうくらい楽しそうにしている姿を見ると、とても満たされた気持ちになる。一生懸命に何かしている人を見ると心が動かされて涙が出ることもある。あぁ、そういうことなのかもなぁ。自分がやりたいと思ったことをやることが、実は結構大事なんだろうなぁ。そんな風に思っている。なのでひとまず、意義は置いておこうと思う。


***


最後に個人的には衝撃的事実。

そもそも意義ってなんなのさと思って検索してみた。

意義(いぎ)とは、物事存在実行などにおける価値重要性

Weblio 辞書 より

存在における価値。


え、そんなもの自分で決めていいんだよ…!


真っ先にそう思った。

これはこの半年かけて自分が自分に言い聞かせてきたこと、「自分の価値は自分で決める」と完全に一致している。自分に自信を持つ方法を書いたこの記事にも、4つ目の方法として書いている。


自分が価値があると思っている存在や行動や何かしらが、

誰かにとってはなんの価値(=意義)もないと思うかもしれない。それはそれで良し。

誰かから見ればすごく価値(=意義)があると思うかもしれない。それももちろん良し。

存在が先で、意義が後だ。

もう既にこんなことを気づいている人、当たり前の人にとっては意義のない文章だったかもしれない。でも私は、書くってやっぱり楽しいなぁと思う。今ここにこの感情が生まれているという事実が、私に書く意義を証明している気がする。


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