刮目相待

自分を変えてくれるもの、それはいつも自分です。

孫策・孫権に仕え、呉の武将として活躍した呂蒙。幼いころから勇猛果敢だった彼は、さまざまな戦いで功績を残し、最後には戦わずして関羽を捕らえるという偉業を成し遂げました。その裏には、字が読めないところから猛勉強するといった努力があり、この出来事は故事成語にもなっています。

勇猛なだけで無学であった呂蒙を見かねた呉王孫権は呂蒙に学問を勧めましたが、「軍中は何かと忙しく、書物を読む時間を取れない」と言い返していました。

孫権は「博士になろうとしなくていいから、歴史を見渡して見識を広めてみてはどうか」と、どの書物を読んで学ぶべきかを教えたそうです。

国王にそこまで言われたらやらざるを得えない呂蒙は、勉学にも本腰を入れ、やがて本職の儒学者たちをも凌ぐほど読書をし、勉強を続け、見る見るうちに教養を身につけていきました。

呂蒙を軽蔑していた知識人の魯粛は、日に日に上がる呂蒙の評判を聞いて挨拶に向かいました。呂蒙は、以前とは比べ物にならないくらい豊かな学識を兼ね備えた大人物へと成長していたのです。
おどろいた魯粛は、「昔言われていた『呉下の阿蒙』であったとはとても思えない」と称賛。これに対して呂蒙は「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」、「士たるもの、別れて三日もすれば大いに成長しているものであって、また次に会う時は目をこすって違う目でみなければなりませんよ」と答えたのです。

人間だれもが能力を持っている。外見からはわからないほど、色々な能力をもっているのである。

三日間というわずかな時間でも人間は変わることができるということを言っているのですが、この呂蒙の話から、3つの大切な事かわかります。

1つ目は、孫権が呂蒙に学問を勧めたこと。変わるための「きっかけ」があったとうこと。

2つ目は、呂蒙が変わることができたのは、変わるために勉学に励むなど努力を続けたということ。
人は自分の考え方や行いを「変える」ことで、変わっていくということ。

3つ目は、呂蒙は、自分のためを思って言ってくれる孫権の言葉を「素直」に受け入れたこと。

呂蒙は、孫権の言葉を「きっかけ」に、「素直」にその言葉に従い、自分を「変える」ための努力を惜しまなかったことで大成長できたのです。

自分を変えてくれるもの、それはいつも自分です。

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