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まだ父が急死したことが腑に落ちないでいる

ウンウン唸りながら、真夜中まで単位取得試験のためのレポートを用意し、先日愚痴っていた、うっかり事前課題を出し忘れたスクーリングの事後レポートも提出して、へとへとになって、やっとひといきついて、あ、そうだ、そろそろ父が死んで一年経つんだな、と思い出してお墓参りに行ってきた。

父が死んで、まさか自分がこんなにうちのめされたみたいにショックをうけるなんて思ってもみなかった。

まるで『ノルウェイの森』の主人公みたいに。旅先で飛行機が着陸した瞬間、涙が止まらなかったことがある。父は旅行が好きで、子供の頃からいろんなところに連れて行ってくれた。
日航機墜落事故があったとき、わたしは小さな子供で、そのときも父が運転する車で旅行中で、やけに渋滞するね、なんて話していたら、すぐ近くで飛行機が落ちていたのだった。
そんなに仲が良かったとは思わない。
むしろ、反発ばかりしていたと思う。長い長い反発と抵抗のあとに、お互い歳をとって少しずつ歩み寄ろうとしていた途中だった。
それなのに、わたしはまだ父が死んだことを腑に落ちないし、まだ怒っている。
父が死ぬなんて話が違う、という気持ちがしている。つい先日までお遍路いって山を歩いていたじゃない、とか、毎朝ジョギング行ってたでしょう、実家のリフォームしてたじゃない。こんなにあっさり死んじゃって、ほんとに後にはなーんにも残らないんだね。

何をかんがえていたのか、頭に詰まってだろう知見とか、経験とか、父が努力して取りまくってた資格の成果とか、全部死んだらおしまい。

お墓参りに行って、帰りにちょっといいスーパーでカツオのタタキを買った。
父の好物で、得意料理だった。
もしかしたら食べたいなぁって思ってるのかもしれないなって、お盆の頃になにかすごく食べたいものがあったら、それはご先祖さまが食べたいものだから食べた方がいいって話を思い出して、奮発して、ワインを空けて、あの世で元気でやっているかなぁと考えている。


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