昨日のモヤ消し
私は言われたことをちゃんとこなすのは得意でした。
ところが自分で判断し、考えて実行することは、行動すること自体は訳ないのだけど、対人において自分の判断や考えを話すことにものすごく自信がない…ということに昨日気づかされました。
多分、私が今までうまく逃げてきたことです。
もしくは上手くできなくて、毎回落ち込んできたことです。
今、向き合わなくてもまだまだ逃げててもいいかもしれないんだけど、自分で決めたことだし、いちいち傷つく自分を何とかしたいから、言語化して次に進みたいと思います。
昨日の仕事で
昨日の仕事で、後輩の代行をしたときに違和感がありました。
自分の経験上、コレはどうなんだろう、と。
でも事前に聞いていた後輩の考えもよくわかりました。
それだって決して間違ってないから。
多分、相手の気持ちやニーズが考慮されてないことに違和感があったんだと思います。
でもそれも、どう判断するかは人によるかもしれない…自分の感覚を信じたいけど、相手への強要はちょっと違う。
それに正直、自分の考えにも話せるほど自信が持てない。
それならと、いろいろ考える刺激のひとつとして、私はこんなふうに考えたりするんだけど、どうだろう?と投げかけてみることにしました。
ただ、私は代行の身だから、そう考えなかったら考えないって言ってもらってよくて、その考えに沿ってやっていくからねって言葉も添えて。
だけど、そのあとで私が自分でしたことに混乱してしまって。
そんなことを言う必要があったのか、私の方がトンチンカンなんじゃないか、と思考がグルグル。
こうなると、神経が興奮しくるのがわかります。
ザワザワソワソワ。
いたたまれなくなって、リーダーにポロッとこぼしました。
リーダーも、投げかけるのは悪くないし、それでどう反応してくるかだねって、余裕です。
私の迷いにも、別にそう考えること自体は大切だと思う、と肯定してくれて。
うん、私もそう思って、ちょっと話してみたんだけど、なにぶん、慣れてないのと、自信がなかったのとで、自分のしたことに自分で過剰に反応してしまうというね…。
それに、どうしても私の中にはかけた言葉とは裏腹に、やっぱり目の前の相手のニーズに沿ったことを提供したいというこだわりにも近い想いが強くあって、それを手放し切れない気持ちがフツフツとしてたんです。
だから話してて、頭ではわかっていても、こう、感情とか気持ちはなかなかついてこないものだなぁ、と実感しました。
そして、そんな感じに高ぶった気持ちでつい涙が。
はーーー、情けない。
そして、そんな姿を見せて、まだ私という人間に慣れてないリーダーに気を使わせてしまったなー、とまた反省。
そう反省でいっぱいな気持ちと、でもそれが私だからという気持ちでまたまた頭はグルグル。
昔からの私の課題なのです。
神経が興奮すると、笑っていても怒っていてもよく考えたらなんてことないことでも、涙が出てきてしまう。
想いが込み上げてしまうんですね。
これをコントロールする術は、まだ身に付けられていません。
目の前で起こったことに加えて、強く反応してウルッとしまうこと、これがすごく情けないと思っているんです。
何事もバランス?
私はこうあるべきっていう理想の姿を追いすぎているのかもしれません。
何でもかっこよくこなすのがマル!で、できないのがダメ、みたいな考えに捉われすぎてる?
だからいつまでもウルッとしてしまう自分を受け入れられないのかも?
自分のイメージする「マル」の姿に自分が慣れていないと、ひどく落ち込んでしまいます。
そして、その「マル」も人の評価にとても左右されていて、それを受け入れてくれる人がいるのといないのとでは自分の精神状態が全然違う…つまりかなり環境による部分が大きいということ。
私はこう思うけど、それは合ってるのかな、という不安が強くて、誰かに承認を求めてしまいます。
今回もリーダーに承認を求めずにはいられなかったですし。
ずっと、それに自分が振り回されてしまってるんじゃないかなぁ。
自分で自分にイエスが出せる…今の私にはこれが難しいんですね。
ただね、振り回される必要はないけれど、人の考えを意識することは大事でもありますよね。
ひとりよがりにならないために。
結局はそこのバランスだと思うんですけど、相手がいることだと自分をダメにしておいた方がトラブルは少なくて済む、なんて考えてしまうところが私にはあります。
最終決断は自分を傷つけないために、自分を落とす…うーーん。
相手を傷つけたくない、トラブルになりたくない、となると、その想いが強いほど自責を強めてしまうのかもしれないですね。
でもそれはそれで自分が苦しいのに。
だから自分の想いだけが自分の中で膨らんでいってしまうのかもしれません。
どこで自分と折り合いをつけるか
私は自分が仕事で17年選手であることを、自分でプレッシャーに感じています。
だって、17年って言っても、バリバリじゃなくて、子育てとの両立の中でのこと。
いろんな経験をしてきているけれど、だからと言って何でもバッチリなわけでもない。
経験のないことは全然わからないことも多いし、人相手の仕事というのはコレっていう正解があるわけでもない。
それを知っているから、逆に自信を持って言えることもたくさんある訳じゃない。
経験すればするほど、人の数だけ考え方もやり方もアプローチ方法もあっていいと思う。
それなのに、無意識のうちに正解を探してる自分がいます。
で、自分が正解を知らないんじゃないかということに不安になっているんですね。
知らないことは素直に学ぶ姿勢、深めたいことは追求していく専門家としての姿勢、苦手なことは頼っていく姿勢、自分の中でメリハリをつけていくといいのかもしれないですね。
結局は全てが自分探し
昨日のように、私は仕事での刺激に敏感に反応してしまい、物事以上に捉えて悩んでしまいます。
もういい歳なのに、情けない。
あの自信満々だった若かりし頃が信じられない。
そうやって、人はだんだんと丸くなってくるのでしょうか。
今回のことで、仕事でこんなにも神経が興奮するほど思い悩み、考えてしまう自分を改めて感じました。
仕事に対してマジメなんですね、あは。
でも心のどこかではそれをちょっとバランス悪いと感じています。
だから転職先に、苦手だけど学びたいと思っていた「チームワーク」が必要とされる環境を、自ら選んだわけですしね。
チームで仕事をするってことは、いろんなことにおいてさじ加減が必要だし、そのバランスって大事な気がしているので。
ま、思ったとおり、日々学んでますよ。
昨日みたいにね。
だからもう少し俯瞰して、ああ、私、この歳になっても頑張ってるジャーン、えらいえらい、で良くない?なんて、自分に語りかけてみます。
だけど、ひとつのことが気になると、なかなかそこから切り替えられない…これも脳のクセなんですよね。
何事にも一生懸命。
これは私が持って生まれた気質なのでしょう。
周りの目を気にしてしまうと、こんな自分は恥ずかしいのひと言なのだけど、それさえ気にしなければ、いい学びをしている、ただそれだけです。
今まで上手くできなかった、人に頼ることも後輩だからと遠慮してしまったけれど、もっと頼る方にシフトしようと思えているだけでも進歩ですし。
「何事もお互いさま」
夫の言葉なんですけど、そういう精神でいられたらいいなぁって思います。
そうやって試行錯誤しながら、今まで無視して理想だけを追ってきてしまった「私」に対して「私ってどんな人?」っていうのを思い出したり、改めて見つけたり、今はそういうタイミングですね。
この歳なのに、と思って単純に落ち込まずに、前向きに試行錯誤している自分をもう少し肯定したいと思います。
子育てで人との関係に過敏になっている
ここで、自分の今のベースについて、振り返ってみたいと思います。
ベースというのは心のベース。
私は発達特性のある子どもの子育てを経験する中で、視点や考え方、感じ方の多様性にハッとしたんですね。
今まで私が見てきた世界は一部で、しかも一方的だったのだと気づかされて。
それ以降、ものすごーーく強く持っていた自分らしさや自分の考えがグラングランに揺らいだんです。
それとともに、過剰なほどいろんなことを確認せざるを得なくなってしまって。
私とは違う、と思うと、確認しないと怖くなってしまったというか。
多様性を実感できたことはとてもプラスでした。
人生においても、豊かさがプラスされたと思います。
だけど、多様性を目の前にどうしたらいいのか、わからなくなっちゃってるんだと思うんです。
人の気持ちや考えに敏感になった代わりに、増えた刺激の処理ができてないという感じでしょうか。
これはあくまで私の考えや感覚なんですけどね、ADHDって、こういう刺激の処理が自動コントロールされてない状態なんじゃないかって思ってます。
フツーならいろんな刺激が入ってきても、それをその人なりに処理されていって、何らかの形に収まるんです。
でもADHDの場合は、うまく処理されなくて、残ったモヤモヤやザワザワが衝動性や不注意につながったりすることも多いんじゃないかなぁって。
こうして言語化して、これはこう、こっちはそっち、なんて、意識して整理しないと次に進めなくて。
それを自分の中でやるのは難しくて、だけどそれを人に話すことで整理しようとすると、相手によってはトラブルにつながってしまうというか。
なぜなら、私は聞いて整理したいだけなんだけれど、相手には心があって、そこまでの配慮ができる状況じゃなくて、言葉や相手を思いやれなかったりするから。
それでよく失敗してました。
ただ気持ちの整理をしたいから聞いてほしいということと、相手を選べばいい話なのだけど。
それをどうにかするには、環境的に刺激を減らすか、刺激が多いときに意識的に整理する習慣をつけるか、なのだと思います。
時には誰か信頼できる人や公的サービスを頼って。
私の現状では刺激を極端に減らすことはできないから、できるだけスケジュール管理でやることを減らしつつ、気持ちや心の整理をする時間を意識的にしていくしかないんでしょうね。
今は私、そんな状況で、これからは更年期も重なっていくでしょう…少しずつ、自分なりにこんな自分との付き合い方を見つけていく必要があるんだなって、ヒシヒシと感じています。
今回の落としどころ
まぁいろいろモヤモヤしたので、言葉にしましたが、実は7日にワクチン接種、3回目をしたところでして。
一昨日は副反応の悪寒、発熱、筋肉痛、胃部不快感などでフルコースで丸一日苦しみました。
昨日の朝は解熱し、何とか仕事→中学の説明会をこなしたのですけど、仕事でのモヤモヤの上、この説明会がまたまた刺激的でして。
発達特性のある子ども目線で聞くと、厳しすぎる!!!
私が中学のときは当たり前だったことも多いけれど、新しく加わっているものもありました。
どうしてこうまでして、このルールの範囲内で!にこだわるのか、と思う一方、この教育がモラルや集団での平和につながっていたりもすると思うと、気持ちは複雑です。
そんな感じで帰ってきたら、あっという間に発熱ぶり返し。
そう、そもそも調子が良くなかったのでした。
そういうときは省エネで、最低限のことでオッケー!ってやり過ごすのが自分に優しいってわかってはいるんだけど。
そんなわけで、頼み込み、長男を指導係に、次男と2人で夕飯を作ってもらうことに。
↑こうなる可能性を考えて、事前に2人には相談済みでした。
でないと、そんなに事はスムーズに進みません。
昨日夫に多めに作ってもらった豚汁とひじき煮があるので、ご飯を炊いてメインを作ってもらうだけ。←夫にも事前にお願い済みのため、スムーズ。
と思っていたら、次男がオムライスを作りたいというので、2人にオムライスを作ってもらいました。
長男のブツブツ文句にも負けずに、次男は私の分を担当してくれ、無事にご飯を食べました。
もうね、嬉しくて涙が出てきて。
褒められるのが苦手な次男は、感謝を表すと「もう、作らねぇ!!」と怒って出ていってしまいましたけど、思春期に突入している男の子2人がこうして母の代わりにご飯を作ってくれる姿って、何にもかえ難いです。
親子の関係性を築くのがものすごく難しくて、何度も心が折れそうになったけれど、こういう日がくるなんて!!と。
で、今回の落としどころです。
私はきっと、自分がこうなりたいな、こうなったらいいな、と思ったことに、それなりにタネを撒いて生活してきたのだと思います。
そりゃね、すぐに結果は出ないことが多いけれど、どこか何かのタイミングで叶うことだってあるし、芽が出ないことだってある。
だから、自分を信じて自分でいいと思ったことをやり続けていくしかないんですね。
というわけで、昨日はよく頑張った、と自分にヨシヨシしてあげようと思います。
月並みですね(笑)
サポートのお気持ちがとっても励みになります😊✨その幸せの気持ちを他のたくさんの方へつなげていきたいと思います🎶