生きてる意味、得たい感覚を考えた結果
どっかの講座で聞いたの。
「自分はどんな感覚でこの世を去りたいか。」
という投げかけの言葉。
つまり、自分の最期がどんな感覚で包まれていたいかって。
感覚なんて考えたことある?
安心感に包まれてたいとか?
家族の愛を感じていたいとか?
そのときはピンときてなかったことなんだけど、最近、妙にその言葉が離れない。
今までの私が求めていた感覚
なんでその言葉が頭から離れないかって言うとね、今の私は今まで求めていた感覚が得られないから焦ってるのかもって気づいたからなの。
思い通りの結果を得られた「達成感」とか、
私といることで相手になんらかの役に立てたという「満足感」とか、
自分が出した結果で賞賛される「満足感」とか、
欲しかったものが手に入る「満足感」とか、
ハードスケジュールをこなした自分への「肯定感」とか、
みんなで何かをやり遂げる「一体感」とか。
仕事でも子育てでも、どうも自分の選ぶ行動では、求めている感覚が得られないんだよね。
こうやって振り返ると、「自分が何か目標を立てて、思うような結果が得られる」っていうことに、かなり依存した生き方をしてきたかもしれないなって思う。
思うような結果が出るのが嬉しかったし、そのための努力を惜しまなかった。
それは主に学生のときの感覚かな。
それを仕事でも子育てでも同じように求めてて。
でも努力したからって、その感覚は継続的に得られ続けるものではないんだよね。
結果じゃないんだよね、多くのことって。
結果に依存して生きるとどこかで苦しくなる。
あとは、結果ってゴールだから、ゴールしちゃうと新たな目標が必要になるし。
継続できて、「ただある」だけで満たされるような、そういうものに価値を見い出せたらいいなぁーなんてふと思ったよね。
〇〇感の言葉 <いい感覚編>
行動を起こすとき、その結果で得られるいい感覚が目的ってことか…。
例えば、オシャレなランチを食べに行きたい→オシャレな空間とオシャレなランチで満足感がほしい、みたいな。
逆に、こうすべき、だけでその後に得られるいい感覚がないときって動くのは、私、スゴイ苦痛だよ。
例えば、私だったらお風呂掃除とかついめんどくさくて。
その後のスッキリ感、爽快感をしっかりと感じられたら、次から行動のハードルも下がりそうな気がする。
私が自分を動かそうと思ったら、物事をこなすことそのものを目的にするんじゃなくて、そのあとに得られる感覚を大切にしたらいいのかもしれないね。
いい感覚って言葉にすると難しい。
ちょっと調べたり考えたりして、できるだけ挙げてみたよ。
達成感
満足感
幸福感
安心感
安定感
存在感
一体感
爽快感
清潔感
解放感
信頼感
充足感
充実感
高揚感
親密感
結構あるね。
一体感とか安心感とか、私、好きかも。
あと、大切にしてるのは信頼感。
〇〇感の言葉 <できれば避けたい感覚編>
あとは嫌な感覚を回避する、という考え方も大切だよね。
コレをしたら嫌な感覚を回避できる、と思うと行動するじゃない?
消極的のように感じるけど、回避型のタイプの夫や長男を見ていると、平和で安全で安定した生活を送るにはこっちの方が大事なのかもって思うことがあるよ。
だっていい感覚ばかり求めていると、すごく波が大きいの。
いい感覚を得たくて行動して、得られなかったときの残念な感覚は、多分いい感覚を期待しているからだよね。
期待しないで生きるためには、悪い感覚を回避することにフォーカスするといいのかなって思う。
ベースは回避型で、ここぞというときに欲しい感覚を求めて動く…それだとバランスが良さそう。
どうかな?
さて、具体的な言葉を挙げてみるね。
喪失感
罪悪感
劣等感
空虚感
無力感
孤独感
疎外感
焦燥感
違和感
挫折感
失望感
絶望感
不安感
緊張感
敗北感
嫌悪感
重圧感
悲壮感
威圧感
閉塞感
恐怖感
どう?
私が日頃振り回されやすいのは、不安感、焦燥感、空虚感、違和感、疎外感かな。
これらの感覚が強くなると、私は突拍子もない行動をしちゃうことが多いんだよね。
衝動買い、転職妄想→転職サイトはしご、勉強会にやたら参加、夫に悪絡み…とか。
そうそう。
で、そういう行動って大抵迷惑かけるの。
そうか。
ってことは、そういう感覚が強くなったときの行動には要注意って、自分をコントロールできたらいいかもね。
継続的に満たされる感覚を大切にする
なんだかまとまらなくなっちゃったな。
私が感覚について深めようと思ったのは、感覚に振り回されやすいからなのね。
で、調べてみたらいろんな感覚があったよね。
私は中でも満たされたい、達成したい、認められたいって気持ちが強くて、何か目的を達成することで得ようとしがちだったと気づいたよ。
また、嫌な感覚を避けたくて行動したことが迷惑をかけがちだったことも気づいて。
こういうのに振り回されないように生きるには、「ただある」ことに価値を見いだしたらいいんじゃないかって思ったところ。
ただそこにいて生きてるだけでいい。
ただそこにあるだけでいい。
そんな人やモノに囲まれて、生きているだけで充分なんだっていう感覚。
なんか、そう考えたら物を減らせそう。
子どもたちにもたくさんの期待をかけなくて良くなりそう。
元々はただ生きるために生まれてきてたのよね。
それが文明の発展とともに、生きる意味があふれてきて、今は自分で選択できる時代なんだよね。
選択できるから欲深さは果てしないし、自分で止めなきゃ止まらないんだ。
もっともっとシンプルに生きたい。
生きてるだけでいいんだって。
そういう気持ちで毎日、自分の行動を選択したいな。
意識の前提が変われば、行動のあとに感じる感覚も変わりそうだもの。
何かを得られないといい感覚が得られなかったのが、日常の些細なことに価値を感じてさ、
「ああ、生きてるな」
ってそういう感じ。
憧れるな。
で、最期は
「十分に生きたな」
それだけでいいかな。
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