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ご報告

次男の小学校の運動会の振替で、11月4日がお休みになったので、富士山が見えるキャンプ場で3泊してきました。


ついでに紅葉も楽しんできました。


今まで当たり前のように世の中を見てきた「被害者意識」というメガネを外して、改めて世の中について考えた私。

キャンプをしながら心をリセットしてきました。

報告とは、その中で至った決意です。


「誰かのために」
「こうすべきだから」
「こうするのが当たり前だから」

私はその考えにとらわれて、自分の考えよりもその基準で物事を選択し、それに疑問を抱かずに今まで生きてきました。

気づいたときには、生きるのがなぜか苦しくて、自分の人生の舵を自分で操縦できてない感覚に陥っていて。

その感覚を棚卸しをしたら、世界を見る目が変わったのがわかったんですね。


私はね、この人!と思った人と結婚して、その人との子どもを産み育てるのが私の人生!と思っていたんです。

結果としては間違ってないのだけれど、私は「この人の子どもを産みたい!」という感覚を感じる前に「出産適齢期だから早く産まないと」と思って、夫と話し合い、長男を授かりました。

夫はまだまだそんな気持ちじゃなかったにも関わらず、私が待っていられなかったんです。

マイホームだって、夫が希望しないにも関わらず、義母との同居を急いだ結果、やや身の丈以上の価格と生活スタイルを前提に購入。


そうやって「こうすべき」に沿って生き急いできたので、気持ちが追いつかずにあっという間に40代。

もちろん、そのタイミングじゃなかったら子どもは3人も産めなかったと思うし、今の絶妙な土地で生活できていないので、その行動自体を後悔してるわけじゃなくて。

ただ、その決断のとき、ちゃんと自分の気持ちにも耳を傾けてあげられたらよかったと思ったんです。


そういう、ひとつひとつの判断の瞬間に、私は自分の気持ちは無視して進めてきたような気がします。

無視し続けすぎた結果が今で、

「もうこれ以上無視されるとツラいよ」

ということなんだと思いました。

何ひとつ間違ってはいないけど、その現実に気持ちが追いついていってないのは、無視し続けた気持ちをこれ以上無視しないで、ということなんだと。


キャンプから帰ってきて、今日仕事に行くと、いつもの風景なのだけど、不安を感じる瞬間は少なくて、ちゃんと地に足がついてる感覚でした。

私がこう考えたのだからこうするのでいい、と思って動けたし、こう考えるけどリスクがあるからやめておく、ということもフツーにできたんです。

今までも判断と行動はできていたけれど、常に不安が付きまとい、行動した自分を肯定できませんでした。

何にも現実は変わってないのだけど、私にとっては世界が変わった感覚。

周りは私の変化に全く気づかないと思うけれど、私の中では大きく違うんです。

心の問題を人に理解してもらうことが難しいのは、こういうことなんだと思います。

だけど、経験した人にはわかるんですよね、出てくる言葉や反応で。

仕事柄、ご高齢の方とたくさんお話しする機会がありますが、出てくる言葉の深さをちゃんと感じられる自分がいます。

私がここ数年戦ってきたことは目には見えないことなんだけれど、わかる人には通じるし、人との信頼に直結する体験だったと実感しています。

そして、とても価値のある経験ができたことに感謝の気持ちすらあります。

あんなにつらかったけれど、それは無駄ではなかったんですね。


それで、いきなりですが、今月いっぱいでみかんのnoteを手放そうと思います。

私はこのnoteで心のバランスをとりたかったのだけど、バランスがうまく取れなかったのは「被害者意識」が無意識下にあって、私を縛り付けていたからで。

「被害者意識」から卒業できた今、バランスは取ろうとしなくても、自然と取れるんですね。

あんなに苦しかったのに、あんなに誰かに助けてほしかったのに、あんなに頑張らなきゃダメって思ってたのに。

夫を見る目も変わりました。

夫がいないと私は生きていけない、くらいに感じていたけれど、どんな未来がやってきても私は私なりに生きていく、と思えるようになって、変な執着がなくなりました。


noteにいろいろと書かなくてももう大丈夫な感覚もあります。

今まではもう無理!って思ったら、言葉が次から次へと出てきて、noteに書かないと整理できなかったのに。

私が上手く生きていけないのはADHD特性が強いからだと思っていたけれど、それも違いましたね(私の場合)。

特性により、被害者意識が強まった可能性は強いけれど、そもそもの特性はただの特性で。

それが自分だと自覚して工夫して生活できていれば、特に何の問題もなさそうです。

私は自分の人生の舵を自分で操縦することができれば問題はなかったのに、操縦できないから被害者でいるしかなかったんだと思います。

私は障害があるから生きづらいと思い込んでたんですね。

障害はあっても、自分で操縦できれば生きづらさは減るんですよね。

被害者になっても問題は解決しないということに、やっと気づけたと思います。


子どもに障害があるから生活がつらい、仕事が思うようにできない、将来が不安、そんな気持ちもあったけど、「子どもに障害があるから」ではなくて、「私が自分の道を自分で決められないから」の間違いでしたね。

もうホント、何かのせいにして生きるのはやめようって、やっと覚悟ができました。


そんなわけで、もうnoteは手放します。

私の生きるための優先順位がガラッと変わってしまって、今は必要がなくなってしまったからなのもありますね。

今月いっぱいは何回かまとめの投稿をしようかと思いますが、もう長々とネガティブな感情や思考と向き合う必要はなさそうです。

自分の居場所は現実にないと感じていたからnoteに居場所を作っていたと思うのですが、やっと居場所という生き方がわかったんですね。


いつも励ましてくださったり、共感してくださったり、温かいお言葉をかけてくださったりした読者の皆さま、今まで本当にありがとうございました!

今までの投稿がどなたかのお役に立てたらいいなぁと思ってます。

そして、今後も何かとつながりが続く方がいらしたら、それも嬉しいです。


サポートのお気持ちがとっても励みになります😊✨その幸せの気持ちを他のたくさんの方へつなげていきたいと思います🎶