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「一生懸命」からの卒業

一生懸命やるってことがこんなにもマイナスになるんだってこと、知らなかったな。

そりゃそうよね。

どんな性質にもいい面と悪い面がある。

絶対こうだってことなんて、ないんだものね。

でも、一生懸命はオールマイティだって思っちゃってたなぁ。


私らしさのひとつは、何事にも一生懸命なこと

一生懸命頑張るってことは、39年の間、私を裏切ることはなくて。

でもここへきて、何事にも一生懸命な人だよねって言葉が裏のある言葉にしか聞こえない。


夫は言う。

「真面目にやることって、損をするし、バカを見ることが多いよね。

でも本来はさ、そうであってはいけないと思う。

オレはみかんちゃんの一生懸命を応援していたし、そこまで落ち込むことじゃないと思うよ。」


いつもどんな私でも、そう怒っているときでさえ、私を肯定してくれる夫。

心からありがとう。

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そろそろ卒業の時期

この39年間、私は自分の一生懸命さに自分でパワーをもらってきたし、目の前の人の笑顔で頑張ってきたところがある。

でもやり過ぎてたのかもしれないし、そのやり方にしかフォーカスしてこなかったからかもしれない…子育てし始めてからはどんどん歯車がかみ合わなくなってきて。


今の職場では、私が一生懸命やりたいと思えば思うほど、同僚とは温度差が広がった。

みんながみんな、私と同じ考えをするとは思っていないし、私はちょっと振り切ってるからね…それはわかってる。

でも目の前の困っている人に対して、どうにかしてあげたいって気持ちまで、私は否定したくないの。

だけど、私のやってることっておかしいのかなぁ。


私が同僚の前で口を開くと、なんか空気が変わる気がする。

私がそう感じるだけ?

私がそう思ってるからそう感じてしまうってこと?

こんなふうに周りに影響されやすい自分が嫌だし、グルグルしちゃうのも嫌だなぁ。


でもきっと「同僚が」ではないんだよね。

今回、職場を離れることにして良かったと思うし、これ以上しんどいのは無理だなぁと思うけど、

「一生懸命がなんか違和感」

と感じるのは、そのまま受けとめていいんじゃないかなぁと思う。

今の私がそう感じるのだから、そうなんだよ。

それをそのまま受けとめよう。


もしかしたら「一生懸命」が問題じゃないかもしれないけどさ、自分がそう感じたそのことを大切にしようと思う。

今までも同じような状況ってあった気がするけど、自分で受けとめられなかったから繰り返したんだと思うし。


悲しいや。

一生懸命なことって素晴らしいことなんだって信じてきた私。

多分、自分の信念でもあったよ。

何事にも真剣に取り組んで、自分を高めていけるのがいいって。

だけど、そうじゃない考え方もあるし、それが全てなわけでもないし。

それは私にとって残念で悲しいことなんだけど、そろそろ卒業しよう。

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卒業の儀式

一生懸命が好きなのは私の生き方よ。

だけど、どこでもそれを全開にして生きてきちゃったのよね。

その場や人によってもそのさじ加減って、必要で。

だけど、私は自分の想いを貫き過ぎちゃったからね。

自覚ある。

でもそうしないとうまくやっていけなかったというか、自分を保てなかった。

それも自分。


そして、今、私は周りとの空気感を大切にしたいと思ってるから、周りとの空気感が微妙なことに私は引っかかってるんだと思う。

今まではそれよりも自分の仕事をこなすことの方が大切だったし。


そうだよね、私の価値観も変わってきたんだ。


「何事にも一生懸命」から卒業する。

「一生懸命やることは状況や気持ちによって選択する」ってことに変更する。


言葉にすると当たり前のことのように思うけど、できてなかったなぁ。

多分、一生懸命やることで周りの評価を得られるってことに依存してたんだよね。

これからは一生懸命頑張ることをちゃんと選ぼう。


「一生懸命、頑張ること」へ。


今まで私を守ってくれてありがとう。

生きる勇気と楽しさをありがとう。


私はもっと柔軟に生きることを選ぶよ。

周りとの空気感を大切にすることを優先するよ。

そのまんまでいい、と思って生きていくよ。


でもまだ時々は頼ると思う。

そのときはまた、よろしくね。

一生懸命は大好きだから、これからも上手く付き合っていきたいな。

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