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多様性の社会で生きるということ

夫の考える良かれは私には全く通用せず、私の良かれも夫や子どもたちには通用しないみたい。

「私だったらこうする」が夫や子どもたちにないし、子どもたちの選択にビックリすることも多い。


今の私の職場でも、ゴールは同じところを見ているのに、やり方や考え方は人それぞれ。

相手があることだから、相手のニーズとすり合わせていくのだけど、それでも人によっていろんな考え方がある。

最終的に相手が満足できていたら、サービスとしては成り立つわけで、正解はひとつではない。

私が小さいときに感じていた「生きる上で必要なのは学歴と努力」みたいなものは、今や幻というか、その時代を生きてきてそう染みついてしまった人の心にしかない気がする。


多様性が尊重される世界では、どう生きていったらいいのか。

今の自分の心の中を整理する。


多様性に必要なのはマネジャーの存在?

多様性って、いろんな感じ方、考え方、やり方が合っていいってことよね。

でもさ、生活を共にしていたり、仕事で同じ方向を向いてやっていく場合、それぞれが好き勝手にやっていたら効率悪いし、統制も取れないよね。

そうなったら、最低限のルールや枠みたいなモノをよりわかりやすく提示して共有する必要が出てくるんじゃないかと思う。

それがあっても、その通りはイヤ、と言われてしまったらそれまでだけれど、みんながどの方向を向いているのかわからないから困っちゃう場合だってあるわけで。

ここでは〇〇を目標にして、いついつまでにこうなっていることを目指しましょう!という取り決めを共有することからスタートする必要があると思う。

それぞれの役割はしっかりと任せて、でも方向性と到達点は同じイメージが持てるっていう。

それが、多様化が進めば進むほど、細かくなったり、重要視されるんじゃないかって思うのよね。

そうなると、マネジメントができる人って重宝されないかな。

個々を生かし、上手くまとめていく力?


夫や子どもたちと話していると、本当に違うのよ、視点も考え方も。

今まではいろんな考えを持っていたとしても、社会に出たら統一されるような、こうあるべきみたいなのがあったけど、そこにこだわる必要がないんだなぁ、と。

だからね、我が家は個性的な家族だけど、それぞれを生かし、うまくチームで楽しんでいくマネジメントができたらおもしろいなって、最近ではそう考えてる。

お互いを理解して、お互いに尊重し、同じ時間や空間を楽しむっていいよね。


お互いを理解するコミュニケーションスキル

日本ってあいまいの文化で、あまりハッキリと主張しないのが美、みたいなところがあるじゃない?

察する文化、合わせる文化。

昔はそこに適応するための教育をどこの家庭でもしていたと思うのだけど、多様化とともに教育の個性が出てきたよね。

そうなったときに、こうあるべきだよね?っていうのが一部にしか通じなかったりしてね。


私は母の考え方が一般的なんだと思い込んでいて、みんなそういう考え方で生きてるんだと思ってたのね。

その考え方は母の親の世代には当たり前だったのか、今80代前後の方とは何となく波長が合う私。

普通ににこやかにお話できて、お互いを気遣い合い、それでいて外さないという感じがする。

そういう感覚が、世代によって全然違うなぁ、と仕事をしてきて思う。


多様化が進んだ社会では、信頼関係を築こうと思ったら相手を理解するため、自分を表現するためのコミュニケーションってすごく大事だと思う。

自分とは違う相手の価値観や感じ方、考え方を理解するのに、相手の非言語コミュニケーションを感じたり、言語コミュニケーションでそれを補うというスキルが必要よね。

自分の意思表示にはやっぱり非言語コミュニケーションへの意識と、言語コミュニケーションによって伝えることが大事になる。


また関係性という視点では、相手との距離感も大切な要素。

そういうことへの意識や視点が、今まで以上に必要になってくるよね。


情報の取捨選択

その一方で、どんな人とでもうまく関わる必要はないのかな…そう思うようにもなってきた。

相手を選んでいいし、自分はどうしたいかを大切にしていい気がする。

相手の言葉や情報、反応をどこまで自分に取り込むのか。

相手にどこまで許すのか。


大切にしたい!と思う人と、そうでもない人とは、自分の中で決めていいというか。

私は平等でありたい、と思って接してきたこともあったけど、相手との関係は自分で決めていいのだと今は思ってる。

例え親であっても、適度な距離感、自己開示の程度、相手の意見や気持ちにどれくらい好意的に関わるか、いろんなことを自分で決めていい。


人との関係だけじゃなく学びも

今はだんだんと学びも多様化してきてる。

我が家でも学校に行かない選択をした長男が、家でネットスクールに顔を出し、勉強している。

長男に言わせると、自分に必要以上の情報や刺激はいらない、と。

広く満遍なくは合わない、と。

自分が学びたいことを学び、自分で生活できる力が身につけられればそれでいい、と。


そこまでの意思表示があるのに、それを応援しない選択はないよね。

自分とは違う選択に戸惑いと不安はあるけれど、何かあったらその都度力になれたらというスタンスが程よいのかな、と思ってる。

子どもたちがそういう意思を持てる時代なんだよね。

すごい時代。

長男はその自分の信念に沿って、料理はかなりできるようになってる。

意志あるところに道は開ける…のね。


多様化が進んだ先には?

そうやってさ、多様化が進んだ先には何があるのだろうって考えたのね。

そうなると、自分に合う合わないがハッキリしてきて、自分と価値観が合う社会やコミュニティを選んで生きていくようになるんじゃないか、と。

今以上にそれはハッキリしていくと思うし、もっともっと幅が広がっていくんじゃないかと。


そうなっていくと、自分ってどんな人間か、どんなコミュニティが合うのか、どんなライフスタイルで生きていきたいのか、自分と向き合えないと選択できないってことになる。

私は全然わからないよ、いまだに。

というか、そういう教育の下で教育されてきてないし、その後必要性がなかったのよね、それなりに選択できたからなのかもしれないけど。


今いる私の職場は私のライフスタイルには合うけど、私の想いや実現したいことには直結してないし、同じ年代も価値観の合う人もいない。

全部をひとつのところに求めようとしても無理だと思ったから、いくつか世界を持てたらいいね。

少しずつ子どもの手が離れてきたからね。

子どもの世界も楽しみつつ、自分の世界も楽しみたいね。


自分が合うと思ったコミュニティに属していくことは、ホリエモンもキングコング西野さんも勧めていて、西野さんはそのコミュニティの中でビジネスも成り立つって話をしてたよね。

そうなっていく世界もありそうだなぁ。


自分で決めて広げていく世界で、心地よく、楽しく生きるのがいいのかな。

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