寄り添いが前提の場で相談する価値
今日、久しぶりにやらかした。
人に迷惑がかかることでやらかしたのは久しぶりで、わかった瞬間に罪悪感にさいなまれ、抜け出せなくなったの。
この気持ちをひとりでは解決できそうにない!と思ったんだけど、だからといって誰から構わず話すのはリスクがあるというか、余計に自分を落ち込ませかねないと思って。
うーーん。
公的な場がいちばんいいかな、と思って、役所の子育て相談の番号に電話をすることにした。
その体験談。
事の始まりは予定のドタキャン
今朝、ひとつ小学校関係の予定があった。
行かないと迷惑がかかる事案だった。
でもなぜか手帳に書き忘れていて、すっかり忘れていて。
まさかのまさか。
私が書き忘れる訳ない事案なのに、書き忘れてて。
子どもの受診が終わって、お薬をもらって、薬局でプチトラブルがあったのをなんとか解決して、家に帰って一安心したときに発覚したの。
なんかイヤな予感がすると思ったらコレだったんだ。
なんで気づかなかったんだろう。
ADHDだから?
私のサポートを誰かにお願いしないともう無理なところまできてる?
もう私は生きていても仕方ないのかもしれない。
そこまで感覚的に進んでしまってから、まずいと思った。
自分の中で忘れてしまったというネガティブな出来事をどんなカタチでもいいから処理できないと、私はまた負のループから抜け出せなくなる。
どうにかしなければと思って、冷静に考えた。
直接子どものことではないけれど子育てにおけるバランスのことだから、と役所の子育て相談の番号を検索して、電話してみることにした。
相談でわかったこと
最初に結論を書こうと思う。
この相談での気づきは
①『相談はそのあと自分が楽になるような相手を選んでする必要がある』
②『私がADHDの薬を飲んでたときの効果は、事後の罪悪感を減らすことだった』
ってことだった。
まずは①の件。
私はね、苦しい、どうしたらいいの?と思うと、話ができる人に相談することが多かったんだけど、その相談相手の選択は結構甘かったのよね。
たまたまLINEをくれた友だちだったり、疲れて帰ってきて頭がもう働かなくなってる夫だったり、職場の休み時間に同僚にポロッと話してしまったりした。
聞いた方も困っただろうと思う。
相手だってその相談に乗れるベースが自分になかったら、困るのよね。
なのに、私はどんな人にも無意識のうちに一定の理解を求めるところがあった気がする。
期待というか。
で、思ったような反応がないと、相談してしまった自分に否定的な感情を抱き、聞いてもらった相手に申し訳なく思う。
その感覚が罪悪感へと変わって、私は生きてる価値がない、とまで飛躍することも多かった。
今思うと、そこがなんかおかしいんだわ。
逆に言うと、私はどんな人でも声をかけられたら全力で対処しようと心に決めてた(だから他の人も全力で対処してくれるんじゃないかって勝手に期待しちゃってたし、自分が期待に添えないと自己嫌悪がひどかった)。
そういうところが、頭のネジが緩んでるところなのかな。
冷静に考えたら、相談相手やタイミングを選べばよかったって話よね。
今回はちゃんと、自分が落ち着くための相手を選べたのが良かった。
役所の相談担当の人なら、この手の相談には慣れているし、どう対応すればいいかもよくわかってるわけで。
案の定、そうだった。
それは次の章で詳しく書くね。
②の件。
私は以前、職場での人間関係トラブルに悩んで、家に帰ってからも頭から離れなかったときに、心療内科でADHDの治療薬、ストラテラを内服してたときがあるのね。
そのときは、リアルタイムでの人との会話が終わったあとに、いつも陥る罪悪感が減った感覚があったの。
それが薬の効果だと感じてた。
一般的にADHD治療薬って言ったら、集中できるとか、頭の中が整理されるとか、思考の多動が落ち着くとかそんなイメージで、罪悪感と直接結びつかない気がするよね。
でも実は関係していて、人との会話の中で情報処理が上手くいくから罪悪感を感じにくくなったんだと思う。
この罪悪感が生活に大きく影響していて。
仕事の人間関係の上手くいかなさからくる罪悪感での落ち込みを、切り替えられずに家に帰るから子育てや家のことが上手く回らなくてね。
どうにもならなくなって受診して薬を処方してもらったんだけど、確かに効き目はあった。
今回も結局は、事後の罪悪感の処理が自分でできないってことだから、やっぱり薬が必要なのかしら。
相談しながら、私の問題ってネガティブを引きずるところもそうだし、ネガティブスイッチが入りやすいのも自覚。
確かに薬がいちばん即効性があるとは思うのよ。
それに薬を飲むといつもの自分との違いに気づけるから、誰かの支援なしでも自己修正が図れることが習慣化しやすいのよね。
また飲んだ方がいいかなぁ…。
療育センターの先生にもちょっと促された感じだったし。
それを私は「症状出てるから薬飲んだ方がいいんじゃないか」って、なんかダメ人間の烙印を押されたような気になってしまって受け入れられなかったんだけど(これも事後の罪悪感よね)、今日の相談では「お母さんが楽になるのがいちばんだから」と言われて、素直に受けとめられた。
だけど、受診のハードルが高いのよね。
受診ってだけで予定のタスクが増えるし、道もクリニックも混むから時間が読めないストレスも生じるし、何より薬代が高すぎる(月万単位)。
だから自分でなんとかしようともがいてるところがあるのよ。
子どもの薬代も高すぎるし。
仕事しててもさ、どんどん消えてくよね。
言いたいことがまとまらない
こうやってnoteを書いてると、言いたいことがまとまってないだけでもう症状出てるんだろうなぁ、なんて客観的に感じるね。
思考の多動状態。
確かに薬を飲んでたときはブログ、すんごく短くて済んだもんなぁ。
でもその一方で、薬に頼るしかなかったら薬しか対策がなくなる気がして、それはそれで不安なのよね。
やっぱり最終的には自己コントロールに至りたいじゃない?
それって難しいことなのかなぁ。
相談内容について
相談内容に関しては、自分でそれなりにまとめられてたと思う。
「3人のどの子どもの相談、というわけじゃなくて、子育てしている中で自分のバランスが上手く保てなくて、どう考えたらいいのか一緒に考えてほしくてお電話しました。
キッカケは今日、子ども関連の用事をひとつすっかり忘れてしまっていて、以前も同じようなことがあって、今後どう考えてどう対策したらいいのかと思って。」
導入はこんな感じ。
「子どもは3人療育にかかっていて、1人は不登校で、カウンセリングもあって、今日は受診とお薬をもらう日で。
仕事もしているから予定はいっぱいで、気がつくと忘れちゃってっていう今回みたいなことがあるんです。
こうならないように、手帳やアレクサに頼んでおいたりしているのに、それでもゼロにはできなくて。
夫は今の私や家庭の状況の全体を見て、そんなに問題ないんじゃないかって言うんですけど、問題にならないように私がやっているからで、私はいつも大変なんです。」
支援者「お母さん、子どもを3人育ててるだけでめちゃくちゃ大変なんですよ。いっぱいいっぱいになるのは当たり前だし、たまに忘れちゃうことだってありますよ。
お母さんの話を聞いていると、よく頑張られていると思います。本当です。そんなに忙しくされているのだから、忘れちゃうこともあります。
それを忘れないように対策されているのだから、もっと頑張らなくちゃという方向ではなくて、今はそのあとの罪悪感をどう処理するかが大事かなぁと。
お薬で楽になるのなら、それも手だと思いますよ。受診は土曜日だったらハードルが下がらないですかね?
お母さんに何かいい支援があったらご連絡するので、連絡先をもらえますか?」
約30分、話をしてた。
話をしながら、意外と冷静な自分に気づいた。
ああ、やっぱり支援者の方ってほしい言葉を良く知ってるな、どんどん落ち着いていく。
短時間で気持ちを落ち着かせる言葉がわかってるんだよね。
やっぱりこの電話をかけてよかったんだって思った。
一気に気持ちが落ち着いたから。
それと同時に、気持ちの問題ってこともよくわかった。
今、かけてもらった言葉を自分で自分にかけてあげられたらいいんだってことも、結構冷静に捉えてた。
でも最後の連絡先を聞かれたときには、ブラックリストにのっちゃうのかな、ってチラリと頭をかすめたけど、気にかけてもらえるならそれはそれで良いのかもって思えた。
(帰宅した夫に話したら、話を切り上げる常套句だよって言われて、それはそれで納得だった。安心感ですんなり話が終われたからね。)
自分が生きやすいように整える
今回のことでよくわかった。
自分ではどうしようもない問題は、今は上手く他力を使って、次に進んでいくしかないんだって。
受診するお金も時間もないし、役所の相談なら無料なんだもの。
子どもにめちゃくちゃお金がかかるのに、私もっていうのは私には無理よ。
もちろん、もっとひどい状態だったら仕方ないかなって思うんだけど、今はイレギュラーが重なると崩れるって感じだから。
自分のバランスの取り方も少しずつわかってきたし、他力の活用もできるようになってきたしね。
以前は頼り方もわからず、頼ったつもりがもっと自分の心をざわつかせただけだったってことも多かった。
自分の崩れ方やネガティブループのハマり方もわかってくると、どのタイミングでどんな頼り方で乗り切ったらいいかもわかってくるものだね。
今回は事前にちゃんと自分で見通しを持って頼れたのがよかった。
結果、気持ちが切り替えられて、ご飯も作れたし、子どもたちにもかなり冷静でいい関わり方ができた気がするし。
今の自分を分析→自分では回復困難と思ったら他力を考える→見通しを持って相談先を決める
自分だけで背負っても上手くいかないものね。
今回はホント、そうだった。
予定のドタキャンを肯定的にはどうしても考えられなかったし、次忘れないためにどうしたらいいかから抜け出せなかったからね。
他力を使ったけど、それを含めて自分で解決できたいい経験ができたと思う。
そんなふうに自分を促せたこと、すごく良かった。
自分が楽になる手段やアイテム、考え、他力の活用、どんどん試していこうと思う。
自分も特性があって、子どもたちにもあって、その状態で仕事も子育ても背負うなんて、どう考えたって無理があるもの。
親はそんなに完璧な人間じゃないもん。
(つい最近まで自分の親の子育てにブータラ言ってたけどさ)
成人を過ぎたら、自分でなんとかするのよね。
そのなんとかは、自分で背負うことじゃなくて、いろんな力を利用して負担を減らして生きていくことじゃないかって、やっとわかってきた気がするよ。
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