いいところは認めて過去を手放す
私のいいところ。
なんでもチャレンジできるところ。
とどまることを知らないところ。
とりあえずやってみる、頑張ってみる、ができるから、いろんな経験を積み重ねてこられたところ。
誰も聞きたくない、私の功績
【小学生】(学年3クラス)
お米の作文に応募、優良賞→けろけろけろっぴのピクニックお弁当箱をもらう
正しい選挙の習字に応募、優秀賞→ピアノの色鉛筆24色をもらう
4年と6年でリレーの選手
【中学生】(学年4クラス)
中間・期末テストで学年トップ
成績オール5
陸上部で県で1位、関東大会に二度出場
陸上で有名な公立高校からお声がかかる
りんごの皮むきの長さ学年で2位(家庭科)
学年行事の実行委員
生徒会の議長
英語スピーチ大会出場
県の美術展に作品が出展される
【高校】(学年7クラス)
文化祭実行委員長
バレーボール部
隠れ美術部
高3での平均成績4.3(5段階)
割と何でもなんとかやれてきた方だった。
器用貧乏?なんつってね。
顔と性格はあんまり良くなかったけど、チャレンジした分は返ってくるというおいしい学生時代を過ごしたと思う。
特に中学時代は私の黄金期。
注目に鈍い人
そういう優等生あるあるの、自分の学力で進学すると、一気に同レベルの人間に囲まれ、そんなにすごい人間じゃなかった…と実感するってやつがあると思うんだけど、私、ものすごーーく鈍感でわからなかった人。
いまだによくわかってない。
人の能力がわからないから比較もできない。
でもわからないからこそ、生きていけてるとも思う。
周りと比較できてしまうとしんどいよね。
あとは、周りの反応気にせずに自分のやりたいこと、成し遂げたいことにチャレンジできるっていうのも、多分鈍いからじゃないかな。
というのは、私の弟は友だちの間でイヤな思いをしたくないから、テストの点数は80点以下でいいってタイプだったから。
夫や長男、次男は目立ちたくないタイプ。
ほめられるのも怒られるのも注目されることを嫌うんだよね。
私、目の前の人の気持ちや反応にはかなーーり敏感ですが!!!
人からの注目にはかなーーーり鈍感なのです。
このアンバランス!(笑)
だからこそ、好きなことを突き進めてこられたんだと思う。
鈍感力には感謝♪
頭のいい人
私は頭のいい人に憧れてた。
天才、とかも。
で、私、成績良かったから頭がいい人だって勘違いしてて。
親に大学に行くのを反対されたときは、こんなに勉強したいのにどうして?って思ってたくらい。
陸上で推薦を受けたときも、私は学力で高校を選ぶので、とかエラソーに思ってた。
でも夫や長男を理解して思う。
あ、ホントに頭のいい人ってこういうタイプなんだろうなって。
能ある鷹は爪を隠す。
ひけらかさない。
勉強にも執着しない。
自分の持ってるものにも気づかず、スゴイとも思わない。
私のは才能でも何でもなくて、努力の賜物だったのだ、と実感したよね。
私、結構できてるって思って過ごしてきたのにね。
なんか必死こいてたのがバカみたいに思えて、私は私らしさで勝負してこられたら良かったなーとか思ったり。
で、そんなモヤモヤも夫や長男にとってはどうでもいいことだったり。
世界が違うってすごいなーって思った。
で、夫からすると私もフツーじゃないみたいでね、15年一緒にいて飽きないし、1日として私が同じように見える日はないし、変化し続ける人だなーって見てて面白いんだって。
私らしさ
私が今まで自分の強みって思ってたのは、素直に頑張れるところとある程度何でも器用にこなせることだと思ってたのね。
新しい環境にも慣れるのには時間がかかるものの、環境適応は決して悪くはなくて。
だから転職も今まではそんなに大変なことじゃなくて。
とどまることが苦手で、いつでも浮遊してたくて、フラフラいろいろ動いてたくて、その中で真実を見つけるとワクワクして。
でも地に足がついてて安定してる夫みたいな人にも憧れて。
子どもを産んで初めて人の感覚や考えの多様性に触れて。
仕事でうまく関係が築けるのは、お互いの社会性によるものなんだとわかって。
今やっといろんなことをリセットして、新しい視点や価値観でもう一度自分って人を見つめ直したいなぁって思うようになった。
仕事でもからだの筋肉の状態を一度リセットする、ということはとても大切に思っていてね。
ギューっと固まった思考とか筋肉をリセットすると、フッと軽くなるよね。
私は自分の思考をリセットしたい。
ああしなきゃ、こうしなきゃ、頑張らなきゃ、を一度横に置いておいてさ、自然体の自分を解放して、それから今必要なものを選択する。
どんな自分でいてもいいんだけど、「今」必要なこととか、欲しい感覚とか、大切にしたいことをハッキリさせるのが大事かなって。
この記事で、あえて過去の自分を出してみたのは、もうそんな自分からは解放されようって思って。
あの頃はなんだかんだ評価されることって多かったし、それが心地よかったし、私スゴイじゃんって思えたのね。
でも自分に自信がなかったから、他者評価に頼って生きるしかなかった、とも言える。
それくらい周りの評価に依存してた。
大人になったらほめられることなんてないし、評価され続けるのも難しい。
しかも、学生時代とか必要なスキルや考え方って違ってて。
学校教育ってあくまで企業で働くコマを増やす目的で、その人らしく生きていく力をつける場所ではなかったんだ、と気づいたよね。
その価値観から解放されたら、私はどんなふうに生きたいって思うんだろう。
「何かができる」自分ではなくて、「ただそこにいる」だけの自分。
何かをしようとしないで、ただ太陽の下、草っ原に座って深呼吸していたら、何が見えるだろう。
生きていくのって難しいって思ってる。
住む場所があって、ご飯を食べて、着る物も寝る場所もあって、日々暮らすだけでも結構大変だって思ってる。
でもアレもコレも手に入れようとしないで、たくさんのことを手放して、シンプルに暮らそうって思えば、もう少し楽になりそうな気がする。
道路から見える部分の庭を手入れしてるとミミズが出てきた。
次男が隣でトカゲを捕まえてる。
春だなぁって思う。
そんなふうに日々生きてることを実感できる毎日っていいなぁ。
将来は今日、明日、と過ぎていく1日の積み重ね。
子どもの将来が、とか
自分の老後が、とかね、
そんなのも時々は考えてもいいけれど、
今日っていう1日を大切に過ごしたいし、今日も1日過ごせたなって感謝できるくらい時間を大切にしたいなぁ。
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