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コーチングの効果②

先日、コーチングを受けてからの現実変化が著しい。

ものすごーーく悩んでたからこそ、意識の切り替わりが大きな変化につながったんだと思う。

言語化するとさらに深まるから、言葉にしておこうと思う。

ちなみに前回の記録はコチラ↓


求めている感覚と考えの不一致感

人は何のために行動するのか。

人によって様々だと思うけど、私は「得たい感覚」を求めて動くんじゃないかと思う。

幸せな感覚、満たされる感覚、ホッとする感覚、平和で穏やかな感覚、絶好調だ!と思える感覚、達成感、獲得感…。

私の原動力ってどこにあるんだろう?

どんな感覚を求めて行動してるんだろう?


そういう感覚を探ってきた結果、私は人との一致感とか一体感みたいなのを求めているんじゃないかと感じてたのね。

友だちと話していて共感し合えた瞬間とか、同じものを見て同じように感動した瞬間とか、仕事で同じ目標に向かって一緒に頑張っていく過程とか、誰かと一瞬でも一部でもいい、同じような想いでいられる時間がとってもかけがえのない時間で、大切だったから。

そういう感覚を、私は家族と一緒に暮らす中で得たいと思っていたし、仕事でもその感覚が得られるためなら何でも頑張れたの。

だからね、私がずっと気持ちがくすぶってて、モヤモヤしたりするのはその「一致感」とか「一体感」が思うように得られないことが原因だと思ってて。


でも前職ではね、それがキョーレツに得られる体験がたくさんあって、めちゃくちゃやりがいを感じたし、楽しくて仕方なかったんだけど、バランスが取れなかったんだ。

心のアップダウンがめちゃくちゃ激しくなってしまった。

一体感を感じたいと思い、得られる現実があると、一体感が得られないときにメンタルが落ちるの。

それはね、仕事で治療効果を出せる(一体感を感じられる)のが当たり前だ、そうしなければならないんだ、という強迫観念が強くなってしまったみたいで、治療効果が出せなかったりすると自責の念が強くなって自分の心を無意識に破壊しそうになっちゃうというか。

上手く言葉にできないけれど、医療というのは根拠に基づいていなければならなくて、しっかりとした評価に基づいて治療が行われるのね。

治療効果に対しても、きちんと再評価してPDCAを回していく。

前職ではそれが上手くいき過ぎてしまったというか、たまたま上手くハマったに過ぎないのだけれど、その体験がキョーレツで、私が求めていた感覚ってコレだ!みたいに、その感覚に溺れてしまったというか。

なんかこうして言葉にしてると中毒みたい。

でも多分感覚的にはそんな感じ。

またその感覚がほしくて、行動のコントロールが効かなくなっていく感覚があったの。


私は多分、一体感を感じたい人で、行動の原動力はその感覚なのは確かなんだと思うのね。

だけど、それが満たされると溺れる…なんかそれってバランス悪い。

それは方向修正しないと、また繰り返してしまうと思った。

同じように家族にも無意識のうちに一体感を求めてしまっていて、それが違和感とか家庭内バランスに影響しているようにも感じていて。


無意識のうちに求めてしまっている感覚というのは、知らない間に行動に影響しているし、求めている感覚が得られないことで「上手くいかない」(現実は上手く回っているにも関わらず)と感じて無力感につながってしまうことも多いと思っているのね。

これは子育てしていて、思うようにならない現実と向き合ってきてすごく感じていること。

だからね、ずっと私は自分に問いかけてきたの。


私は生きる上で何を求めているの?

生きてる!と感じるような体験ってどんな体験?


コーチングを受ける前の私の状態はこうだった。

「一体感を求めているみたいだけど、なんとなく生きやすさや仕事と育児の程よいバランスにつながっていかない。

 向かっていきたい方向と自分の感覚が一致していない感じがある。」


そして、コーチングをする上で欲しいのは、自分の感覚と考えの一致感。


一体感のメリットとデメリット

一体感の最大のメリットは、それを感じたときに得られる高揚感。

めちゃくちゃサイコー!

生きててよかったと心から思う。

自分が役に立ってる実感とか、生きてる価値みたいなのも感じる。

相手が喜んでくれる姿や自分を必要としてくれている姿に、私の存在感を強めてくれる。


だけど、求める感覚としてこの一体感を設定すると、なぜか私はこの感覚が得られていることがベースになってしまうから、この感覚が得られないとものすごくショックで。

落ち込むというか。

得たいのに得られないのは努力不足!みたいになって、努力すべき→足りないのは何?という思考に陥るの。

そこがデメリット。

波が大きい感じ。

コーチングでは「投資で言うとハイリスク・ハイリターン」って表現したけど、リスクが大きいのよね。

私が求める「穏やかな生活、安定感や安心感が漂う日々」からは遠いのね。


コーチング後の求める感覚の深掘り

独身で自分の時間があるなら、ハイリスク・ハイリターンな求め方もありよね。

刺激的な毎日っていうの?

確かに私、学生時代は刺激を求めてかなりスリリングな毎日を過ごしてたと思うなぁ。


でも子育てでイレギュラーが多くて、苦手な家事も毎日しなきゃいけなくて、十分刺激的なのよね、今は。

いや、刺激的というよりは、無茶したら子どもや家庭運営にしわ寄せがいっちゃうから今までみたいに無茶できないというか。

心の余裕がないと、日々のイレギュラーや子どもの行動に対応できないし。

だから求める感覚はもっと静かな感覚というか、リセットできたりとか、心地よい自分でいられる感覚というか、ニュートラルに近い感覚というか、そんな感じがいいよね。

それなのに、無意識に私は一体感を得ることに吸い寄せられていく。


なんかやっぱり中毒だったのかなぁ。

仕事で得られる一体感に、私はドーパミンドッパドパだった。

またその感覚を得たいがために、めちゃくちゃ考えてたし、行動してたし、仕事にのめり込んでた。

ホントは違うところにも注意を向けなきゃいけない場面でも、頭ではわかっていてもコントロールが効かないこともあった。

それでミスにつながることもあったのに、自分を責めるだけで、感覚に突き動かされてる自分を分析できてなかったなぁ。


思えば、そういう感覚に昔から弱かったかも。

そのときは一体感じゃないんだけど、学校のテストや成績がいいとか、運動会や球技大会で目立つとか、部活で良い成績を残す(県内1位)とか、委員長をやって達成感を得るとか、公募に応募して受賞するとかに酔ってたよ。

そういう体験をすることで、ドーパミンドパドパの経験を積み重ね、努力→結果→ドーパミンドパドパの流れの中毒に陥った感じ。

中毒性が高くて、つい引き寄せられていく。

そんな感覚。

それが就職してからは、仕事で得られる感覚に移行した。

「一体感」にハマって、私はいい治療結果を出すことや人との信頼関係を築くことにハマっていったのよ。


気づけなかったな。

ドーパミンドパドパの感覚に吸い寄せられてしまう自分に。

上手くいくとドッパドパで、テンションが上がりっぱなしで。

産後の職場復帰のときとか、ホントにヤバかった。

睡眠不足も相まって、仕事に行くとずーっとテンションが高いままで、仕事を効率的にこなしてそのまま保育園にお迎えに行って、クールダウンする暇もなく、子どもの世話と家事と頑張ってた。

そんな状態では子どもの心の変化に気づいたり、些細な変化をわかってあげられる訳もなく。


長男が警笛を鳴らしてくれたんだと思う。

やっとストップがかかって。

仕事をペースダウンするしかなくなった。

空いた時間でやっと自分と向き合えて、少しずつ冷静になれるようになってきたよね。

起業熱に没頭した経験が、冷静に戻るキッカケだったよね。

あれで上手くいってたら戻れなかったと思うけど、大金払って思うようにならない経験で目が覚めたというか。

ハッとしたよね。

私、ずっとハイテンションの中で生活してたんだなって。


今でも油断すると、ドーパミンドパドパに吸い寄せられちゃうけどね。

だってすごく刺激的で、楽しくて、ハッピーで、たまらないの。

無意識の奥の方では、その感覚を求めてしまう感覚がずっとあったと思う。

中毒からの脱却って難しいね。

あの刺激が得られることが幸せ!という感覚を他の感覚に置き換えられなかったら、やっぱりどこかでまた強い刺激に吸い寄せられてしまうもの。


ふと思ったよ。

成功した経験がある人って大変だなぁって。

私は学生時代の小さな成功体験の積み重ねだけど、それでもその体験で得られた経験での感覚がずっと私の根底にあって、どこかでそれをまた得たいと無意識に求めてたと思うのよね。

ドーパミンドッパドパの経験って、中毒になるよ。

また何とかしてあの感覚を得たい!って強く感じちゃうのよ。

そのために、何とか結果を出すことにのめり込んだり、人との関係に依存しがちになったり、感覚を得たい一心で自分を見失いやすくなる。

私は学生時代の勉強や部活の成果による達成感とか周りからの評価による満足感とかから、仕事での一体感に求める感覚が変わっていって、育児でもそれを求めちゃって、でも得られなくて。

根底にあるのはドーパミンドパドパ感よね。

くぅーーー、最高!生きててよかった!って心から溢れてくる感覚なのよ。


でもね、夫はそういう感覚、ないんだよね。

キョーレツないい想いをすることよりも、ネガティブな経験を避けることの方が優先順位が高いみたい。

こういう人は溺れずに生活できるんだろうなぁ。

私はドーパミンドパドパの感覚に吸い寄せられ、溺れやすい気質を持ってるんだろうね。

小さなことで言えば、洋服のバーゲンやスーパーのお惣菜の割引で、すっごく安かったりすると、安く手に入れられることに興奮して必要のないものを買ってしまいがちだったりね。

ネットで成功体験のシェアブログを読んで影響されて、私にもできるかも?って興奮して一時的にのめり込んでしまったり。

こういう安易な選択って、きっとドパドパを期待して勝手に体が反応しちゃうのよね。

冷静に考えてないというか。

満たされたい想いだけで動いてしまうというか。


コーチングでの気づきを現実に

コーチングで気づいたのは、一体感に変わる新しい感覚。

「空気感」

私が将来の仕事を選ぶときの原点になっている感覚。

それは中学のときのボランティアキャンプで得た感覚だった。


上下関係のない、人を人として大切にするという空気感。

人の温かさ。

そのままでいいんだ、と思える雰囲気。

包まれる感覚。


言葉にすればするほど、ああ、この感覚を大切にしたらいいんだって実感したの。

私も周りの人も、これでいいよねーって思える感覚。

今までの

「もっと良くしなきゃ!そのためにはダメなところを探して改善しなくちゃ!」

という追い詰めるような切迫感から解放されると思った。

自分に対しても、このままではダメなんじゃないかというプレッシャーを手放せるって思った。

このままでいいよね、がベース。

なんて心穏やかな感覚だろう。


感覚の具体化をしていけばいくほど、この感覚で仕事や育児をしたら、私のモヤモヤは晴れるんじゃないかという実感が湧いてきた。

こんな些細な違いだったんだ。

でも大きかった。

だって行動の動機になる部分だったんだもの。

得たい感覚が違えば、欲しい現実が変わってきて、行動や言動が変化する。

意識の違いが私を変えるって思った。

そして、今は「空気感」を大切にしたら大丈夫!そんな感覚でいっぱいになった。


想像以上の現実変化

コーチングの2日後は仕事で。

ビックリするほど現実が変わったの。

私の行動や言動が変わったからよね。

今まではギュッと固くなって、私らしく動いたら迷惑がかかると思ってあらゆることにブレーキをかけてたのね。

この私らしく動くというのは、一体感を得たい気持ちを解放するってことで。

そうすると上手くいかないのは経験上わかってたから、できなかったのね。

ただただ、その気持ちにブレーキをかけることでいっぱいいっぱいになってた。


でも空気感を大切にすればいいのよって思っていたら、ふんわり軽くなって。

行動範囲が広がった。

以前は空気を悪くする自分の発言にビビって、発言を控えてたけど、話せるようになった。

中途で微妙な年齢で入ったから、やっぱり話の中や輪の中には入れないよねーって思ってたけど、気づいたらフツーに入ってた。

あれ、今までの現実って何だったんだろう。

あの疎外感。

あの自責の念。


自分の意識というのは、自分で思っている以上に周りに伝わるし、自分の行動や言動に直結してるのね。

私がつらくても今の職場を去らなかったのは、職場環境が悪いというよりは、自分の意識の問題の方が大きくて、そこを解決したかったからかもしれない。

今までだったら想いだけが空回りして、どうにかしたいのに現実は悪化する一方で、その理由がわからないまま辞めるしかなかったこともあった。

そのすれ違いの原因に気づけないままだった。

環境が悪いのか、自分が悪いのか、そんな視点しか持てなかったからつらかった。

でもね、今回の経験でハッキリしたよ。


自分の求めている感覚と無意識に求めてしまう感覚との不一致が原因。

私は「空気感」を大切にしたいのに、無意識のうちにドーパミンドパドパの「一体感」とか「達成感」に引き寄せられてしまってたってこと。

それが自覚できたら、一気に現実が変わった。

仕事が怖くなくなったよ。


私の思うコーチングの効果

以前にもコーチングを利用したことがあったんだけど、自分の中の感覚を言葉にするのが難しくて、広がっていかなかったのね。

でも、こうして noteでたくさん気持ちを言語化してきたから、自分が聞かれたこと、話したこと、そしてコーチがくれた言葉が冷静に受け取れて、その言葉を脳内のどこの部分にしまえばいいのかがわかった。

なんていうか、話をしながら、聞きながら、それがどの部分のことなのか、何と関連しているのか、脳内で整理することがリアルタイムでできたという感じかな。

それは私がいちばん苦手だったことで、でもnoteを通して言葉をうまく扱えるようになってきたのかなって気がしたよ。


そうやってある程度、気持ちや言葉を扱えるようになると、コーチングでの気づきもさらに深まる感じ。

その時々で必要な気づきがあるのだと思うけど、私は以前は感覚が先行し過ぎて上手く活用できなかった感じだったから、今回久しぶりに受けてよかったと思ったよ。

自分の中の感覚や考えをガガーーッと言葉にして可視化して、それを整理するためにコーチングを利用する、そういう使い方もいいかなって思ったって話したら、それは最短距離な気がしますって答えをもらって。

最短距離を目指したいわけではないけれど、効率的ではあるよね。

効率的なのがいいと思ってるわけではないけれど、モヤモヤの期間が少ないほど、行動量は増えるしね。


まぁ、そんなことを感じ考え、現実変化が大きかったコーチングだったよ。

また別のコーチに、少し違った角度でコーチングをしてもらったので次回はその経験談を。












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