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熊、タイに行く②〜はじめてのひとり旅〜

タクシーの値段交渉バトルで幕を開けたタイ・バンコクひとり旅。
路側帯をすり抜けて飛ばすタクシーに「ちょ、大丈夫? ねえスピード出しすぎてない?」って聞くもハハッて笑って流されつつ、無事ホテルに着いた。
しかしタイはここからが本番。
ジャパンでは楽しい思い出づくりにハプニングを演出するホテルがあるそうだが、ハプニングってのはハプニングするもんなんだよ……そんな、ハプニングあり〼はもうハプニングじゃなくない? こっちは本物ですから? でもそのホテル楽しそうね? では旅の続き。


3. ランチへ出発


到着は昼過ぎ、夜に友人が迎えに来てくれるまで時間がある。
夜ごはんにタイスキ(タイの鍋料理)の有名なお店に連れて行ってくれると言うので、軽めのお昼を食べようとガイドブックでチェックしていたお店から麺料理の店に決めた。ホテルから歩いて行ける距離だったからだ。そう、空港からのタクシーでちょっと心が荒んでいた。またあのやり取りをしないと乗れないのかと思うと今すぐはちょっとめんどい。
バンコクの街も見たかったし、ランチの後そこからまた歩いて行けるところに気になっていた雑貨屋もある。本格的な観光は明日にして、時間まで街を散策しよう。地元の人が行くスーパーも見たい。
そんなことをあれこれ考えながら部屋を出てエレベーターに乗った。
途中で他の宿泊客が乗ってきたので階数を聞いてボタンを押す。その人が降りる時「Have a good day!」と声を掛けてくれた。
わーすっごい楽しくなってきた! 今ならタクシーもう一回乗ってもいい。いや乗らんけど。
元気良く「Thank you!You too!」と返してお互い微笑み合った。荒んでいた心が洗われて、旅はいいな…なんて思った。

すっかり気分が良くなった私は部屋で確認した地図を頭に浮かべながら歩いた。
地図を広げてウロウロしていたらあまりにも観光客。スリなどに狙われやすくなると地球の歩き方に書いてあったもんね。
無計画に行動するわりにビビリなので、そういう安全に関する情報は事前に調べておいた。何かあったら楽しくなくなっちゃうし。
もともと方向音痴というわけでもなく、方角さえ合っていれば分からなくなったら誰かに聞けばいいという適当さなので、歩きながら地図を広げる必要はあまりない。
日本とはまったく違うエキゾチックな街並みを見ながらブラブラ歩いていると、斜め後方から女性に英語で話しかけられた。
「英語わかる?」とちょっと心配そうな声だったので、何か困っているのかと振り返る。さっきのエレベーターで交わした会話の印象も頭にあった。
でも私はビビリだ。会話で気を引くスリだったら足を止めるのはよろしくない。
どうしようか迷ったが、女性が隣に並んで私に歩調を合わせたのでちょっと安心。そのまま歩きながら返事をした。

「少しならわかるよ」
「良かった! 中国人? 日本人?」
「日本人。あなたはタイ人?」
「そう。◯◯大学の学生。英語勉強してるの」
「へー英語上手いね」

雑談だ。普通に英語で会話がしたい人なのか?
爽やかな若いお姉さんである。丸顔の頬が笑うときゅっと持ち上がるのが可愛らしい。会話中に近づいてくる不審な人もいない。
スリなんて疑って悪かったかな、と思いながら楽しく話を続けていると、どこへ行くのかと聞かれた。目指す店はショッピングモールの中にあったので、そこの名前を言う。
するとお姉さんは愛らしい目を丸くして驚いたあと、気の毒そうにこう言った。

「そこ、今日休みだよ!」

えっ! そうなの?!
一瞬焦ったが、旅先で事前に店の営業日時を調べていないわけがない。今日は開いているはずだった。
でも地元の人が言うんだから、何か私の知らない休業日なのかも……まあそれならそれで適当によさげな店にでも、と思った時、お姉さんがにこやかに提案した。

「買い物なら私がいい店知ってるよ! 代わりにそっちに行かない? 案内してあげる!」

あーーーコレ! 進◯ゼミで見たやつーーーーー!!
正確には外務省の安全情報で見たやつ。ビビリの私は日本でしっかり読んでいた。
バンコクで流行っている手口で、街なかで観光客に声を掛けて巧みに宝石店に案内し、高額な商品を売り付けるのだ。(タイは宝石のマーケットとして有名で、宝石店がたくさんある)
「巧みに」の部分がどういうものなのか、身をもって知った。今、まさに。
私はちょっと足を速めて、笑顔のまま断る。
まだわからん。ほんとに親切心かもしれないし。

「No thank you. ごはん食べたいんだ」

するとお姉さんは慌てたように早口になった。

「えっ、すっごくかわいいジュエリーの店だよ! 知り合いだから安く買えるし! ぜったい気に入るよ! ごはんはそのあと行けるじゃない! すぐ近くだよ!」

英語を勉強中で誰かと話して練習したかったと言っていた人とは思えない、スピーディで流暢な英語だ。
ていうかジュエリーって、もう確定じゃねーか! こんなに可愛らしいお姉さんが……もう誰も信じられない。人は一人で生まれ一人で死んでゆく。さよならだけが人生だ。
私はガバガバに開いていた心のドアをビシャーン!と閉めた。

「いや、行かない……」
「なんで? すぐ近くだよ。もうほんとにすぐそこ!」
「いい。ジュエリー興味ないし」
「えー、だってショッピングモール休みだよ? 行っても無駄だよ? 開いてないよ?」
「でもとりあえずショッピングモール行ってみる。自分で確かめたいから」
「休みだってば! 時間の無駄だよー。せっかくの旅行なのにもったいない。きれいなジュエリーたくさんあるよ」

お姉さん、粘る粘る。だがこちらも折れない。だって宝石いらないもん。
毎日クソみてーな要求してくる客先とクソみてーな言い訳して納期遅らせてくるメーカーとの間に立ってやり合っている経験がいま初めて活きている。お前らのおかげだぜ高橋(仮名)、トビー(仮名)。私がNOと言える方の日本人ですどうも。
頑なに目的地に行ってみると私が言い張るので、お姉さんはすごく残念そうというか悔しそうな顔をした。

「あーそう……じゃあいいや!せいぜい良い一日を!」

実際はお姉さんも「せいぜい」などとは言ってないのだが、ニュアンスは完全にこれ。
エレベーターのご婦人と全く同じ「Have a good day」だったのにこんなに違うもんかね???
会話を楽しみたいんじゃなかったんかい、というツッコミをする間もなくお姉さんは風のように消えた。はっや。もう見えない。
取り残された私は見知らぬ異国の雑踏に佇み、思わず独り言を呟いた。

ありがとう、外務省……


その後無事に辿り着いたし普通に営業していた店の料理はとても美味しかった。あまりに美味しくて翌日も行った。

しかし、これで終わりではなかった。
なんで? もしかして私ってカモ顔なの? クマなのに?



4.麺とパクチーと私


箸休め的に普通の旅行記らしい話も。
タイの麺料理であるクイッティアオの店はカジュアルな雰囲気で、地元の若者らしい客が何人か入っていた。
大きなショッピングモールで旅行客も大勢見かけたのだが、その時店に外国人は私だけ。そして店内の表示に英語が一切見当たらない。メニューもタイ語で、写真はあったがどうやって注文するのかもわからなかった。
レジにいた店員さんに聞いてみると、彼は困ったように笑顔を浮かべた。まずい、英語通じないパターンが来た。
タクシーもホテルも英語が通じて、なんなら詐欺師まで英語だったのですっかり油断していた。なるほど、店に外国人がいないわけだ。
どうしよう、とメニューを眺めていると、店員さんが指を差してタイ語で何か言った。そして自分の手元の伝票のような物を見せる。
どうやらこのレジで注文するようだ。セルフサービスなのかな?
しかしメニューが全く読めない。たぶんだけど選ぶものがたくさんある。
しょうもない事に、当時私は食べ物の好き嫌いが激しく、食べられる物を言ったほうが早いくらいだった。
悩む私を見て店員さんは料理写真をいくつか指差した。たぶんおすすめだと言ったのだろう。
なんとなーくふわっとコミュニケーションが取れはじめ、私も店員さんも安心して笑う。
写真をじっくり観察し、どうやら具はチキンだぞと判断できたものを指差しで注文すると、彼はまかせろ! と言うように手を振った。セルフかと思ってその場で待っていたら座っとけと促されたので適当な席に着く。
さほど待つ事なく湯気のたつボウルが運ばれ、私は渾身の「コップンカー(ありがとう)」を繰り出した。
店員さんはニッコリしてくれた。

初めて食べるクイッテイアオは、先述の通りタイの麺料理である。当時のガイドブックにはタイ風のうどんだか汁そばだかと紹介されていたように思う。
運ばれてきたのは濁りのないスープで、ベトナムのフォーによく似た米粉の麺に写真の通りほぐしたチキンが載っていた。あと写真にはなかった緑の葉がこんもり。イタリアンパセリっぽいがちょっと違う気がする。
もちろんタイ料理ではおなじみの野菜だが、なにせ好き嫌いが激しいのでクイッテイアオどころかタイ料理をこれまで食べたことがなかった。
未知の葉っぱに怯えて最初はよけて食べてみる。
あれ、味が……めちゃくちゃ薄い! 鶏のだしの味しかしない! こういうものなの? 素材の味楽しむ系?
すごく美味しそうだったのにと軽くショックを受けていると、通りかかった店員さんがコレコレ、とテーブルの端を指差した。調味料のボトルがズラリと並んでいる。
目には入っていたが、普段から薄味派で後から調味料を足す習慣がほとんどなかったため存在を意識してなかったのだ。
さて5〜6本は並んでいるボトルは揃いのガラス容器で、中身は見えるが何も書いていない。塩以外は謎の液体だった。
周りを窺うと皆けっこうたくさんの種類を入れている。通っぽい。私もあれやりたい。
ひとつずつ試してみることにして、まずはかなり見た目が醤油っぽいものをスプーンに垂らす。
あっ醤油。日本のとはちょっと違うけど、これはまちがいなく醤油。
チキンのあっさりスープに合いそうだ。目分量で加えたらそれだけでとても美味しくなった。
塩で調整すると好みの味になったのでそれ以上は足さずに食べる。うわー美味しい。クイッテイアオいいね。最高。
帰国してからちゃんと調べたところ、クイッテイアオは麺も具もスープも数種類あり、好みのものを組み合わせて更に調味料で各自好みの味付けをして食べる料理だった。
店員さんは明らかによく分かっていない外国人客を見て、組み合わせ例の写真から選ばせてくれたのだろう。気をつかってくれてありがとう。おかげでクイッテイアオ好きになった。それ以外でも色々優しく対応してくれたから、言葉通じないけどなんか癒しスポットだったよ。
本当に美味しかったので、さっきから避けていた葉っぱも食べてみようという気になった。そのまま残すのは時折り心配そうにこちらを見ている店員さんに悪いような気もする。
ツルツルした麺と一緒に葉っぱを口に入れた。
ん〜〜〜すっっごい香味野菜! 無理! これ無理だ!
春菊もみょうがも、ネギですら、香りの強い野菜が食べられないのだ。しかしそれらを上回る香味っぷり。なんだこれは。すごいぞ。
急いでお茶を飲み、葉っぱはきれいに避けたまま食べ終えた。
しかしあまりの香味に驚いたので店員さんにダメ元で指差しつつ「これは何?」と聞いたら「パックチー」と聞き取れた。
パクチー! 聞いたことある! これが噂の!
タイに駐在していた上司が山盛り食べたいと言っていたパクチー。
それを聞いた先輩が「あんな地獄の黙示録みたいな草を……」と低音で吐き捨てていたパクチー。
パクチー、お前だったのか。
残念ながらNot for meだったが、経験できて良かった。日本で出てきたら、もしくはパクチーだと知っていたら食べていなかったと思う。だって地獄の黙示録だよ?
新たな体験に満足した私だったが、この後どこへ行っても何を注文してもやたらとコイツが入っているのでとうとう「パクチーを入れないでください」というタイ語だけはかなり正確な発音で言えるようになった。後半の方はもう入っている料理かどうかも確かめずに言った。
使う機会がかなり限定されたこの言葉を今でも覚えている。
パクチーが苦手な方はぜひ覚えてからタイ旅行へ行ってほしい。
「マイ サイ パクチー」だよ。
ちなみに今はわりと平気。




《タイさんぽ・ワットポー編に続く。デュエルスタンバイ!》

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