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【小説】人の振り見て我が振り直せ  第2話「股を開いて貧乏ゆすり?」

 由希子が入社してすぐ、更衣室に設置してある長椅子のひじ掛けの部分に、いつも何かしらの物が置いてあることに気がついた。
 ある時はイヤホンの片方、ある時はリップ、またある時はピアスの片方。

 由希子は基本的に朝は早く職場に到着して、仕事前はゆっくりしたい方なので、余裕をもって出勤している。だから、あさイチで更衣室を使うことがほとんどだった。(ん…なんでこんな物がいつも置いてあるのだろう?誰かの忘れ物ってこと?)不思議に思いながら、そのままにして毎日更衣室を後にしていた。

 その日の帰り、もしくは翌日かその翌々日にはその忘れ物と思われるものは消えており、落とした本人が回収しているのだと思われた。それにしても、何かしら忘れ物のようなものが頻繁に置いてあることに、由希子は違和感を覚えていた。
(いくらなんでも、もし同じ人ならば、だらしな過ぎでは?)誰かわからないその相手がなんだか気になってきた。
(でも、毎日来る掃除のおばちゃんが見つけて置いてあるのだろうから、考えられるのは茉莉花か役場の非常勤職員のどちらかしかなさそうだし…。)

 しかし、その落とし主はすぐに判明した。
 それは由希子が入社して半月くらいした頃に、役場の非常勤職員、前野幸枝と初めて更衣室で会った時のことである。その一週間前くらいから、シルバーのピアスの片方がずっとひじ掛けに置いてあった。由希子は(また誰か落とし物か…)とそのまま放置していた。
 普段は朝と帰りにしか更衣室は使わないのだが、たまたまその日、ロッカーの鞄の中に所長に頼まれていた書類を保管したままにしていたので、勤務の途中で更衣室に取りに行ったのだ。
 
 更衣室の外からは電気がついているのがわかったので、誰かいると思い、ノックしてから「失礼します。」と言いながら由希子はドアを開けた。するとそこには役場の非常勤職員と思われる50代前半くらいの女性が出勤準備をしているところだった。初対面だったので、ご挨拶をしなければと由希子はその女性に声をかけた。
 
 由希子「今月からこちらの管理会社でお世話になっております、藤といいます。よろしくお願いします。」
 幸枝「あっ、非常勤職員をしてます、前野です。よろしくお願いします。」
 
 幸枝はニコニコした感じのいい人で、ハキハキした受け答えのわりには上品な雰囲気もある女性だった。おそらく旦那さんのお給料でも余裕で生活できるけど、自分の小遣い稼ぎのためにパートしてます、というところだろう。
 
 由希子「今までお会いできませんでしたけど、勤務時間ってもしかして10時からですか?」
 幸枝「そうなんです。10時から16時までなんです。だからなかなかお会いできませんでしたね。私の方があとから来て先に帰っちゃいますからね。でもロッカーに名前が書いてあったので、女性が入社されたのはわかってましたよ。よろしくお願いします。」
 
 そう言って、ひじ掛けのピアスに目線を下ろし、思い出したかのように幸枝は言った。
 
 幸枝「あっ、違うとは思うんですけど、このピアス、藤さんのではないですよね?」
 由希子「はい、違います。私はピアスの穴も空いてないし、苦手なので1つも持ってないんです。しばらく置いてありますよね…。その前もイヤホンとかが置いてあるの見たんですけど…あれって…。」言いかけるとかぶせるように幸枝は言った。

 幸枝「しょっちゅうなんですよ!物が落ちてるの!藤さんじゃないなら、言っておいて貰えますか?飯田さんに!きっとまたあの人ですから。」
 由希子「またって、じゃあ今まで置いてあったものって、全部飯田さんのだったんですか?」

 幸枝「そうなんですよ、こないだなんて財布ですよ!その前は携帯。携帯の時は今どきの子だから、本人がすぐに気づいたみたいで戻って探しに来たけど、さすがに財布だと心配じゃないですか。だから事務所まで届けに行ったんです。そしたらあの子なんて言ったと思います?」
 由希子「お礼を言いますよね、普通は…。」
 幸枝「別にお礼を言ってもらいたくて持っていったわけではないですけど、ありがとうくらいは言いませんか?」

 幸枝はその上品な雰囲気のまま、怪訝そうな顔しながら言った。その奇妙なギャップがそれを強調しているようにも見えた。この時点で由希子は幸枝が何を言いたいのかすぐに分かった。
 
 幸枝「事務所には彼女一人しかいない様子で、ドアが開いてたのでそのまま事務所に入ったんです。そしたら、椅子の背もたれにだらしなくもたれかかり、足は股を開いて投げだし、左足で貧乏ゆすり、両手で頭の上に携帯持って見てるんですよ。」
とその姿を更衣室の長椅子で再現してくれた。
 
 その様子は由希子にも身に覚えがある光景だった。茉莉花がイスにふんぞり返って頭上でスマホをイジる残念な姿を何度か見たことがあったからだ。
 
 幸枝「あれ見ただけでも幻滅するのに、そのままの姿勢で私を一度ジロッと横目で上から下まで見て、私の持ってるものが自分の財布だと分かって、ダルそうにおもむろに手を出して財布を受け取り、言ったんですよ。」
 
 茉莉花「あぁ〜」
 
 幸枝「更衣室に落ちてましたよ、お財布だから置いとくのも良くないと思って…。清掃会社の人も入るし。」
 
 茉莉花「あぁ〜〜はい。」

 幸枝「あのときは私も出勤前だったので渡してすぐに戻ったけど、態度が悪すぎてびっくりしたわ!役場の人が来たら豹変するクセに。うちの娘があんな態度だったら、絶対注意する!あんなお礼も言えないような態度の悪い子、人前に出すの恥ずかしいもの!」

 幸枝はその時のことを鮮明に思い出したのか、怒りを抑えきれない様子だった。
 
 由希子は思っていた。
 確かに財布や携帯は防犯上でも管理は重要なものだ。幸枝は良心で届けにいったはずだし、もしそれを余計なお世話だなどという人がいれば、失くして自分が困ればいいと思う。少なくとも私はありがたく思い、届けてくれた行為に対してお礼を言うだろう。
 100%幸枝の言葉を鵜呑みにするわけでは無いが、茉莉花は若いからではなく、なにかもともとの人間性に問題があるのではないか。ふんぞり返って、股を開いて貧乏ゆすりをしている姿を見ていても、なんとなく納得出来る。
 人間は忘れることもあるし、間違うこともある。それは仕方のないこと。だからこそ、起きてしまった時の謙虚な姿勢と、その後どうカバーするのかが大事なことなのではないか。忘れたのであれば、忘れないようにするために努力する。間違ったのであれば、次回から間違わないように工夫する。茉莉花の行動や態度を通して改めて我がふり直そうと思う出来事だった。

 由希子「では、飯田さんに一応聞いてみますね。しばらく置いてあるから、いくらなんでも本人も気づいてそうですけど。」
 幸枝「そうよね。でも私でも藤さんでもないならあの子しかいないからお願いします。」
 由希子「わかりました。」

 そう言いながら、由希子は自分のロッカーから書類を取り出し、更衣室を出ていった。

 その日の帰り、由希子が更衣室に行ったときにはもう茉莉花の姿はなく、ピアスもなくなっていた。


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