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第一話 秋萩

※小春と才四郎が、叔父上の寺まで帰る道中でのお話です。

久方ぶりに、海岸沿いから離れ、山の道を行くことになった。

 数日前季節外れの野分で、崖崩れが起きたとかで道が塞がれてしまったからである。追っ手が掛かっていた時は、山道はいつもお互い張り詰めた気持ちで、言葉少なく歩いていた。いつ木陰から曲者が現れるか分からなかったからである。しかし、今はそのような心配もなくなり、私たちは、のんびり話をしながら、道を歩いている。
 ふと顔を上げると山道の際に、やわらかい三つ葉を持つ、蝶のように華やかな紅色の花を見ることが多くなった。花の重さゆえか、少し頭を垂れているのが奥ゆかしい。才四郎に聞くと、これが萩なのだ、と教えてくれた。いつの間にか夏もそろそろ終わりを迎えているのだなあと感慨深くなる。

 そういえば、昨今、益々空は高くなり、空気が澄んで来たと思うていたら、油蝉の鳴き声に混ざり、ひぐらしの声が聞こえ始めた。才四郎と心を通わせるようになってから、私はいつも、とても満ち足りた、温かい気持ちでいることが多い。しかし最初の頃は、まさに初夏のあの心が晴れ渡るような、深く青い空と海を見ながら、いままでに感じたことのない高揚感に戸惑うことも多かった。まさに、そうあの歌、夏の海の色に似た藍色の和歌……。

 いつしかと はつ山藍の 色にいでて おもい染めつる ほどをみせばや

 私の侍女であった梅は、万葉集が好きだった。以降のどの和歌もこの歌集を元にしているのもそうだが、季節の花が多く詠まれていて、目の前に情景が浮かんでくるようだから……と、よく言っていた。それもあって私は事あるごとに万葉を読まされ、歌というとまず一番に万葉集の歌が思い浮かんでしまう。

 彼に会う前はこの歌の気持ちなど、全くわからなかった。恋に色があるなどとその感覚がわからなかったのだ。それを知ったとき、私はとても幸福に満ちあふれた気持ちになり、暫く夢見心地なような心持ちであった。

 しかし、すぐに恋というのは楽しい気持ちばかりでないことも、彼は私に教えてくれた。

 私は梅から、歌について教わっている際に、初恋の歌と同じように心踊る筈の恋の歌に、苦しみや、悲しみ、そして時に怒りの感情を歌っている物が多いことが理解できなかった。恋というものを知った当初も、まだ理解出来ていなかった。そのようなことは、私の身には起きないのではないのかとさえ、思っていた。

ーーしかしすぐにそれが大きな間違いであったことに気づかされることになるのであるが……。

「この辺りでは、ういろうという甘味がなかなかうまいぞ。食っていくか」

 丁度、山藍のことを考えていた私に、才四郎が声をかけてきた。尾張に入って、山道をだいぶ行ったであろうか。話を聞くと万能薬とされる、外郎薬とに起源を発する蒸し菓子があるらしい。私が甘味好きであるので、才四郎が宿や町の商店の娘さん等から色々と情報を集めてきて、案内してくれるのだ。……それは、嬉しいのだけれど。

「それは、楽しみです」

「この先に宿場の傍の和菓子屋のが、うまいそうだ。行ってみよう」

「はい」

 私が素直に返事をすると、彼も嬉しそうに頷いた。


「いらっしゃいませ」

 町の外れの小さな和菓子屋は、繁盛しているようだ。少し待ったが、軒先の椅子に案内される。どうやら噂を聞き付けた旅人が買い求めた帰りに、休憩がてら、そのお菓子を口にして帰るらしい。私たちのような旅の装束の者ばかりが、座っている。

「ご注文は」

 娘さんが、注文を取りに来た。どうやら和菓子職人のご主人の娘さんのようである。藍色の着物に、薄い山吹色の帯を締めて、髪を可愛らしく結い上げている。才四郎が注文をしてくれているが、だんだん頬を染める様がこちらからも、はっきりと分かる。まるでいつもの自分を見ているかのようだ。なんともいえない気持ちになり、私はそっと視線を反らした。

「他には?」

 まだ彼と話したい。というように小首を傾げる彼女を、見上げながら才四郎が答える。

「他にはない。小春は何かあるか」

 彼の言葉に、私は顔をそちらへ向けた。

「いえ」
 
 小さく首を降ると、娘さんが、少しきつい目を私に向けた。私は目を伏せる。

「では、お待ちください」

 そのまま、くるりと背を向けて、娘さんは軒先から店内へ入っていった。

 恋をするようになってから、気づくことがある。

 女人の恋に関する……いや。女人の才四郎に対しての心の動きについて、である。以前、ひな様から夕顔様が自分を憎んでいる聞いて、全く理解が出来なかった。しかしいまなら分かる。あの強い視線は、まさに強い嫉妬の感情そのものであったということを……。今でもまだ私は顔に包帯を巻いたまま旅をしている。これは私の容姿が、目立ちすぎるからと彼に促されたのだが、ひな様から長い間日に当ててなかった顔の皮膚を、この夏の日差しに急にさらすのは、よくない。と言われているからでもある。
 そのこともあってだと思うのだが。才四郎に好意を持つ女人から、なぜこの娘が? 美丈夫の才四郎と? という露骨なさげすさみの視線を受けることが多い。これも、恋して気づくようになったのだけれど。
 とても冷たい、露骨な悪意に、私は時にたまらない気持ちになることもある。才四郎は、そんなこと、知るよしもないのだろうが。
 そう。才四郎といえば。それどころ、師匠様の寺を出てからというもの、とみに、私が話しかけても、ぼうっと、遠くを見つめていて、考え事をしているのか、気もそぞろであることが多い。才四郎、才四郎……と声をかけると、初めて私の存在に気づいたように、辛そうに目頭を押さえて、すまん、すまん、ぼうっとしてしまった、と、謝るのだ。それが日々数回はある。私と道端で休憩しているときばかりだ。……私と共にいるのが、つまらないのだろうか……?

「こちらは、お店一番の人気の品なんですよ」

「そうか、うまそうだな」

「自分で言うのもなんですけど、私と同じ、お店の看板ものなのです」

「そうなのか。確かに商売上手だものな」

「ま、お客さんったら」

 横で楽しそうに話している彼らを見上げながら、さらにどうしようもなく惨めで悲しく、そして恐ろしい心持ちになる。そう。つまり、そのような女人の気持ちに気づくようになったというのは……つまり、私自身も同様の気持ちになることがあるということだ。人を責めることはできない。この焼けつくような、黒い燻る煙のような感情。

 才四郎は、変わらずよく私のことを可愛がってくれる。一度、私のどこが良いのか聞いたことがあった。その時彼は、

「容姿もそうだが。お前の可愛いところは、素直で純粋で正直なところだ。悲しいときは泣き、不満があれば、すぐにむくれる。心が綺麗なのだな」

 といってくれた。私はこの瞳の色がちがう容姿のことが、人と違って良いのかなと思っていたから、内面の事について言及してくれた彼の言葉がとても嬉しかった。ふと見遣ると、店の売り場の端に、花瓶に萩の花が生けられている。少し身をうつむかせたような、謙虚な様子の美しい薄紅色の花。私もいつもあの様に謙虚で、心綺麗にありたいと思うているのに。

「ほら、小春。うまそうだぞ。この季節は栗も入ってるそうだ。良かったな」

 才四郎が屈託のない笑顔で、私に菓子の入った皿を渡した。私は彼の方へ振り返り、そして顔をあげる。

「どうした?」

 はたと彼の表情が訝しげに変わる。きっと私はこの黒い感情で、酷く恐ろしい顔をしているのに違いない。本音を言えば、さらに酷く彼に当て付けてしまいそうで、自分が恐ろしく、恥ずかしくもあり……私はただ首を降った。

「いえ、何も」

ーーありがとうございます。おいしそう。

 私はそう言うと、皿を受け取り、彼を見ぬまま口にそのお菓子を運んだ。恋を知る前は、このように甘味の味さえわからなくなるほど、思い悩むことなどなかったのに。いつもであれば、季節を感じて味わい深く頂く栗の感触も、まるで砂を噛んでいる見たいで……私はお茶でそれを流し込むようにして、なんとか腹におさめたのだった。


 宿屋の床の間の掛け軸の下に、小さな花瓶が置いてある。やはりこの季節は定番なのであろう。萩の花が生けられている。


 あの花を見つけてからというもの、知らず知らずのうちに昼間のことを思い返してしまう……。私は彼の話を上の空で聞いていたようだ……。

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