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またピアノを始める理由ができた

ストリートピアノ。コロナ禍で一時的に姿を消したものの、駅や商業施設を中心にそれは各地で復活しつつある。昨年青森に行ったときも見かけた。

今年の1月、日立駅を訪れた。一面ガラス張り、海と日光に優しく照らされた青い空間、そこにもひとつのピアノがある。中年の女性が譜面を持ってピアノの前に座り、2曲弾きあげた。

いいな、ここでピアノを弾いてみたい。

それを密かな野望として心に留めるのみにしたのは、私はすでに気軽にピアノを弾ける環境ではなかったからだ。

幼稚園に入って間もなく、母に連れられピアノ教室に行き出した。物心ついた頃から5人ほどの集団でのレッスンを受け始め、限られた時間内でエレクトーンとピアノを交互に弾く。小学5年生からそれはピアノの個人レッスンに変わった。

音楽に対する際立った才能は特に無かったが、習った曲はひと通り弾けるようになったし、絶対音感が養われたおかげでどの楽器を始めるにもさほど苦労しなかった。とりわけ「楽しい」とも「もうピアノなんてやりたくない」とも思わなかったが、ピアノは習ってよかったと思っている。

部活を理由にピアノは中学1年生で辞めてしまったが、その後も何度か弾く機会はあった。何かの手違いで中学の卒業式で歌う曲の伴奏に立候補したし、高校の音楽の授業では合唱練習で私がアルトパートの音を拾って弾くこともあった。その度「みかってピアノ弾けるんだね!」と驚かれ、「弾けるってほどじゃないよ」と返した。そう、本当に「弾けるってほどじゃない」のだ。

コロナ禍、社会人2年目になった私は、気晴らしによく実家のピアノを触っていた。好きなゲームの曲、流行りの曲の伴奏、様々な譜面をダウンロードしてはつまみ食いするように弾いた。

幼い頃からピアノを触り、中高で吹奏楽、大学でオーケストラを経験したくせに、譜面を読むのが本当に苦手で、一向に弾けるようにならない。それでも少しずつ音が曲として形になるのが楽しかったし、初めてピアノにハマった。

ただそれも長続きせず、コロナが明けて少しずつ仕事が忙しくなっていくと、ピアノの時間はめっきり減った。やがて実家のピアノは埃を被り、いつの間にか姿を消していた。「業者さんに引き取ってもらったよ」かつてピアノがあったスペースに母は早速、寝室にあった棚を置いていた。

「この家にピアノあるんだよね」

先日仮引っ越しを済ませたパートナーの家には、一階の部屋の隅っこにピアノがある。彼もかつてピアノを習っていたらしいが、向いていないとわかりすぐに辞めたそうだ。

当然そのピアノには埃・カビどころか、無数の荷物やダンボールが積み上がり、どれほど長い年月息を潜めていたかが一目瞭然だった。
周りの荷物をかき分け、何度拭いてもウエットティッシュが茶色くなる椅子を諦めてその上に座布団を敷き、蓋を開けて、久しぶりに白い鍵盤を押す。想像以上に音が大きくてビビってしまったが、練習曲で指を動かすうちに、それが自然と馴染んでいった。

「ストリートピアノで演奏したい」と密かに思ったこと、叶えられるかもしれない。

実家にある譜面を持ってこようかな。何を練習しよう。
本当にやりたかったことを今、思い出してきた。

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