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そのレールから外れた私たち

県内トップとまではいかないけれど。
県内でその名前を出せば、近所の人に「すごいねえ」と言われるくらいの女子校に通っていた。

その高校は「自主自立」の言葉通り、授業は予習が当たり前、部活はほぼ全員参加、行事も生徒だけで作り上げる。何事にも全力で真面目に、そして楽しく取り組んでいた。

各中学の人気者が集結したような高校だった。リーダーシップがあり、もちろん頭がよく、運動もできて可愛い。よく笑い、よく努力する。たとえ苦手な人とでも、自分なりの距離を取ってうまくやる。

私は、その高校のレールに乗れなかった

通常の授業すらついていくのに必死。部活や行事はそれなりに頑張っていたけれど、テストは平均点に達すればいい方。模試の物理で20点取ったときは、実験室にいる物理の先生に泣きながら報告した。

それでも当時の私は、「勉強ができない」ことを認めたくなかった。プライドが高かったんだと思う。リスニングテストの点がビリだったことなんて、恥ずかしくて言えなかった。


昨日、「私いっつも遅刻してて、赤点常連だったんですよ笑」と笑ったのは、ふたつ年下の高校の後輩。

彼女は今、私と同じオーケストラに所属している。ふたつ下だから高校にいた時期は被っていたものの、当時はお互いの存在を知らなかった。同じ高校だと知ったのは、私が今のオーケストラに入ってから。

「なんでみんな、頭がいい上に運動もできて歌もうまいんですかね」と、彼女は自分の高校時代を振り返った。数学は毎回赤点で、補習メンバーと仲良くなるほど。通学はホームルームに間に合えばいい方。1時間目の授業中でも、平気で遅刻してくる。

彼女は、ダメだったところも失敗したことも、全て話してくれた。

彼女だって中学では優等生だったはずだ。頭が良くて親しみやすくて、可愛い。


私たちは、どこでレールを外れてしまったのか。


何でも話してくれる彼女に安心して、私は大学受験に全落ちした話をした。今まで恥ずかしすぎて、とても同じ高校の人には話せなかった話。やっとプライドも恥も捨てて語れた


ちなみに。ここまで高校時代のきつかった側面だけ書いてしまったが、私たちの共通認識は「高校、まじで最高に楽しかった」

本当に楽しかったのだ。全員女子、何事にも全力で楽しみ、笑い、没頭するあの頃が。あれこそが、私たちの青春だった。

その証拠に、私たちは高校時代の影響をかなり受けている。

私は8割男性の大学で誰とでも分け隔てなく話せるようになり、彼女は大学の講義にも平気で遅刻できるメンタルを持ち合わせた。

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