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ベストセラーなんか人に読ませておけばよろしい|『20代で得た知見』

毎日筆写を続けてまもなく1ヶ月になります。

筆写の題材は、Fさん著作『20代で得た知見』(KADOKAWA)

仕事も彼氏も手放して不安定なときに出逢っていただいた、運命の本だと思っています。


人の孤独の隙間に染み渡るような、心地いい「です・ます調」と「だ・である調」の使い分け。

表現方法の引き出しの多さ。

体験談も「自分語り」にしない、読者との距離感。

こんな本を私も書けるようになりたいものです。

今日はFさんの言葉をお借りして、「自分らしさ」について考えていきます。

「自分らしさ」を崇高に扱いすぎている?

「自分らしさ」「アイデンティティ」「オリジナリティ」なんて言葉がよく行き交います。

それらは誰からも侵されることなく、尊重されるべき、大切にされるべきものです。

何となく崇高なものとして扱われている「自分らしさ」ですが、実は案外出すのって簡単じゃない? と思ったのが、以下の内容。

誰もがやっていることは、誰もがやっているゆえに、価値がありません。

稀少でなければ価値がない。宝石も人間も、同じです。

ベストセラーなんか人に読ませておけばよろしい。

(中略)いまだかつて誰も語ったことのないことを見て聴いて感じて、書いたり話したりする人の方が余程面白いでしょう。

群れる必要はない、というより、群れてもらっては困るのです。

ただ一人で生きているかのような顔をしていただきたい。そのほうがあなたを見つけやすい。

『20代で得た知見』p137

「自分らしさ」は、頑張って見つけたり変わったりしようとすることではなく、自分がいかに好きなことややりたいことを追求できるか、それをしている姿が「自分らしさ」なのではと思うのです。

「〇〇らしいよね!」に応えようとしてしまう私たち

きっと、好きなことに素直に向き合っていれば、それだけで「自分らしさ」が出る。

独創性なんて狙ったことをしなくても、それを「好きだ」と言ってくれる人は必ず現れる。

ところが、そうは思っていても周りの期待には応えたい。みんなの評判が気になる。


「恥をかきたくない」は、日本人が持つ典型的な特徴です。

人から「〇〇ってこういうのが得意だよね! 」「こういうところが〇〇らしいよね! 」と指摘されたとき、急にそれを意識し出してしまったことはありませんか?

私はよくあります。

「エビアンって英語が得意だよね! 」に対して。

英語ができる自分を演じなければいけない。たとえその子より英語のテストの点数が悪かったとしても。

「いつも個性的な可愛い服着ていて、エビアンらしいよね! 」に対して。

その人の前では二度とシンプルな服は着れない。毎回個性的な服を選ばないと。

「エビアンって冷静だよね! 」に対して。

実は冷静じゃないときもあるけど、そんな自分は見せられない。

人から評価された「自分らしさ」に失望されたくない。

オリジナリティを出そうとしたら、背伸びをして苦しむ矛盾に陥りました。

「万人受け」に対する最低限の抵抗

万人受けを狙うのはとても簡単なことです。

ベストセラーを見て、読んでいればいい。相手の顔色を伺ってその場で意見を変えればいい。流行っている服を着ればいい。

しかし、それだと「自分らしさ」は得られない。
それでもつい、楽な方に身を任せてしまう。


それに抗う術として、私は勉強しようと思います
そして内省をし続けます。

知識は無くなりません。自分の考えを常にアップデートして賢くなって、万人に何かを言われても「正しく抵抗する」準備をします。


あなたは、「自分らしさ」を守るために、何をしますか?

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