ベストセラーなんか人に読ませておけばよろしい|『20代で得た知見』
毎日筆写を続けてまもなく1ヶ月になります。
筆写の題材は、Fさん著作『20代で得た知見』(KADOKAWA)。
仕事も彼氏も手放して不安定なときに出逢っていただいた、運命の本だと思っています。
人の孤独の隙間に染み渡るような、心地いい「です・ます調」と「だ・である調」の使い分け。
表現方法の引き出しの多さ。
体験談も「自分語り」にしない、読者との距離感。
こんな本を私も書けるようになりたいものです。
今日はFさんの言葉をお借りして、「自分らしさ」について考えていきます。
「自分らしさ」を崇高に扱いすぎている?
「自分らしさ」「アイデンティティ」「オリジナリティ」なんて言葉がよく行き交います。
それらは誰からも侵されることなく、尊重されるべき、大切にされるべきものです。
何となく崇高なものとして扱われている「自分らしさ」ですが、実は案外出すのって簡単じゃない? と思ったのが、以下の内容。
「自分らしさ」は、頑張って見つけたり変わったりしようとすることではなく、自分がいかに好きなことややりたいことを追求できるか、それをしている姿が「自分らしさ」なのではと思うのです。
「〇〇らしいよね!」に応えようとしてしまう私たち
きっと、好きなことに素直に向き合っていれば、それだけで「自分らしさ」が出る。
独創性なんて狙ったことをしなくても、それを「好きだ」と言ってくれる人は必ず現れる。
ところが、そうは思っていても周りの期待には応えたい。みんなの評判が気になる。
「恥をかきたくない」は、日本人が持つ典型的な特徴です。
人から「〇〇ってこういうのが得意だよね! 」「こういうところが〇〇らしいよね! 」と指摘されたとき、急にそれを意識し出してしまったことはありませんか?
私はよくあります。
「エビアンって英語が得意だよね! 」に対して。
英語ができる自分を演じなければいけない。たとえその子より英語のテストの点数が悪かったとしても。
「いつも個性的な可愛い服着ていて、エビアンらしいよね! 」に対して。
その人の前では二度とシンプルな服は着れない。毎回個性的な服を選ばないと。
「エビアンって冷静だよね! 」に対して。
実は冷静じゃないときもあるけど、そんな自分は見せられない。
人から評価された「自分らしさ」に失望されたくない。
オリジナリティを出そうとしたら、背伸びをして苦しむ矛盾に陥りました。
「万人受け」に対する最低限の抵抗
万人受けを狙うのはとても簡単なことです。
ベストセラーを見て、読んでいればいい。相手の顔色を伺ってその場で意見を変えればいい。流行っている服を着ればいい。
しかし、それだと「自分らしさ」は得られない。
それでもつい、楽な方に身を任せてしまう。
それに抗う術として、私は勉強しようと思います。
そして内省をし続けます。
知識は無くなりません。自分の考えを常にアップデートして賢くなって、万人に何かを言われても「正しく抵抗する」準備をします。
あなたは、「自分らしさ」を守るために、何をしますか?
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