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26歳でいまだに下敷きを使っていますが何か?|わたしの習慣

ライターを志して3ヶ月、ならして大体3日に1回ペースで筆写している。

筆写とは、本やnoteなどの「いい」文章を書き写すこと。
いい文章を書きたければ、読むより書け。ざっくり言えばそんな教えだった気がする。

1回でB5ノート1ページ分、1000字程度を書き写し、声に出して読んで音のリズムを耳から確かめる。

構成を分析して、いい表現は青で丸、知らなかった表現は緑の丸を付ける。
「いい」文章たる理由を考えて、右隣りに箇条書きでまとめる。

そんな私の執筆習慣を、見えないところで支え続けてくれているものが下敷きだ。

それを敷けば、書くこと自体が楽しくなる!

下敷きの良さは、書き心地の統一である。

どんなにへこみが目立つ机の上でも、ノートの1ページ目でも真ん中でも、下敷きは常に同じ書き心地を提供してくれるのだ。

硬い素材の上をボールペンが滑る。
あのゴリゴリした感覚が、書く行為の楽しさを掻き立てる。

時代はいつまでも、小学生のまま

大人になると、下敷きを使わなくなるらしい。

ツイッターのとある投稿で、「大学生で今さら使わないもの」のひとつに下敷きが挙がっていたという。

たしかに、下敷きと聞いて思い浮かぶのは小学生の頃。特に硬筆の授業で大活躍していた。

濃く、強く、裏移りせず書くために、分厚いふにゃふにゃの透明な下敷きを敷いて、ペンだこができるまで6Bの鉛筆を強く握っていたっけ。

下敷きは、まだ字をうまく書けない子ども向けのツール

そういえば私が今使っている下敷きは、中学生だか小学生高学年に買ってもらった、『ミスバニー』の絵が大きく描かれているものだった。

「まだ下敷きを使ってるの?」と言われても

高校生のころ、ルーズリーフが流行った。

右端に1列、均等に穴が空けられた紙1枚を取り出して、黒板の内容を書き写す。
授業が終わったら、科目ごとにファイリングしていく。

ロフトなどの雑貨店でよく見る、カラフルな透明の分厚いファイルは、持っているだけで大人になったようで、高校生の目にはおしゃれにうつった。

それまでノート派を貫いてきた私もそれに便乗して一時、ルーズリーフを使ってみたことがある。しかし長くは続かなかった。

紙をいちいちファイリングするのがめんどくさい。

整理整頓にかかる時間がもったいない。

何より、「愛着」がまったく湧かないのだ。

授業で書いたノートが何冊も積み重なると、「頑張ったなあ」と無条件に自分を褒められるし、その愛着は教科書よりも手放し難い。


おかげで社会人になった今でも、私はノート派だ。
そしてノートに挟まったそれを見た母が、思わず声をあげる。

「まだ下敷き使ってるの? 偉いねえ。」

偉いとかではない。
ノートと下敷きは常にセット。これが私の、執筆活動の習慣である。

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