結果がすべてだと思っていた中2の私に、「頑張ったんだからいいじゃん」と励ましてくれたクラスメイトの話
学力と運動神経とルックスがすべてだった中学時代。
最初の1つ目しか持ち合わせていない私にとっては気乗りのしない、体育祭の時期がきた。
毎年5月末に行われる体育祭では、新年度まもなくまだ仲良くなりきれていないクラスが、少しずつ1つになっていく。
間違いなく戦力になれない体育祭の当日、クラスメイトにかけてもらった温かいことばが今でも忘れられない。
流れで決まったスウェーデンリレー
中学生の2年目。昨年同様、新学期はじめから体育祭の準備が動き出す。
まだ新しいクラスメイトに馴染みきれていない教室では、総合の授業時間を使い、誰がどの種目に出るかを決めていた。
黒板には、担任の先生が事前に書いておいた種目名が角ばった字で並んでいる。
体育祭では全員必ず出る種目に加えて、1人1つ以上何かの種目に出ないといけなかった。
出たい種目名の下に、クラスメイトが次々と自分の名字を書いていく。定員オーバーしたらジャンケンして、負けた人は他の競技にまわる。
……というのは建前で、実際は、陸上部や野球部、サッカー部の足の速い人からリレー系の種目に決まり、残った人たちは適当に余りものにまわるのがいつもの流れだった。
中の下の運動神経だった私は当然、積極的に出たい競技など無い。
そもそも運動が好きじゃないし、せいぜいみんなの足を引っ張らない競技がいいな、とふんわり思っていた。
ところが、私の種目決めは意外と簡単に決着がつく。
スウェーデンリレー
数ある種目の中で一際目立つ名前。全てカタカナ、しかも無駄に字数の多いその種目名の下に、私と親友の名字が書き込まれていく。
運動部の親友に「一緒に出ようよ!」と言われたのだ。
リレーなんて運動部の人しか出てないのに……、と不安に思いながらも、特に出たい競技も無いしまあいっか、で決めてしまった。
そもそも何でスウェーデンなんだ……。
他クラスのメンバー表で突きつけられる現実
スウェーデンリレーとは、第一走者が50m、第二走者が100m、第三走者が150m、第四走者が200mと、どんどん走る距離が長くなっていくリレーだ。
女子スウェーデンリレーのメンバーは、私と親友のほか、卓球部の子とソフトボール部の子の4人。
文化部の私には、少なくとも100m以上を全力疾走することなどできない。
一番足が遅いことも考慮され、私は第一走者にあててもらった。
練習で何度かバトンパスの動きを確認する。
本番が近づけば、他5クラスのメンバー表も共有された。
スウェーデンリレーの第一走者は全員、50m走を7秒台で走るような人ばかりだった。
奇跡は起こらない
体育祭当日。
午前中の競技が終わり、クラスメイトが応援の熱と共に馴染んでいくタイミングで、スウェーデンリレーの出番が来た。
「足が速い人といえば?」と聞かれれば10本の指には入るような運動部の人たちに挟まれて、文化部が1人心細くスタートラインに立つ。
私が走る距離は50m。200mトラックの4分の1と思えば一瞬の勝負だ。
中学になって初めて教わった、不慣れなクラウチングスタートの体制を取る。
勝てっこない。でももしかしたら。
位置について、よーい
バン
無事に転ばず低い体制からスタートを切る。この時点では置いてかれていない。
予行練習通り、途中までは自分のレーンを走り、白線が無くなったところでトラックの内側に寄る。
それぞれのクラスを応援する声が聞こえる。
きっとその声援に、自分のクラスメイトの声も混ざっていると信じて。
走る。
自分のままでは勝てない。自分ではない、運動部の人になった気持ちで、全力で走る。
だが、追いつかない。他5人の背中が見えた。
奇跡はそう簡単に起こらない。
たかが50mだったおかげで、僅差のビリだった。
ごめん。
ついそう口走り、2走目で待つ親友にバトンを繋いだ。
バトンを受けて駆け抜ける親友の背中に私は、思いっきり声援を張り上げた。
「全力で走ったならいいじゃん!」
2走目以降の追い上げで結局、スウェーデンリレーは6クラス中4位に終わった。
4走目の子が走り終わり、リレーメンバーが自然に集まる。
悔しい。私がせめて5位でバトンを繋げていれば。
その場で体育座りすると、涙が出てきた。
ごめん、本当にごめん。
泣く私に、アンカーで走ったソフトボール部の子が声をかける。
「エビアンはさ、リレー全力で走ったんでしょ?」
「うん」
「だったらいいじゃん!頑張ったんだから!」
温かすぎた。
そのことばにまた、新たな涙が溢れる。
戦力にはなれなかった。
それでも、勝ち負けが優先される体育祭ではじめて、「頑張ったからよし」と認めてくれた友だちのことばは、10年以上経った今でも私を支えてくれている。
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