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学生の時(大学時代、主に学部)

僕は体育専門学群ではなく、社会工学類という理系の学部に進学しました。入ってみたら全く事前のイメージとは違ったのですが、体育専門は本当にスポーツしかできない人になってしまうのではないかと想像していたからです。実際に筑波大学へ行こうと決めたのは、高校三年生になった瞬間でした。周りの同級生が受験勉強を始めたのをきっかけに、僕もどこに行こうかなと考えるようになり、日本一になりたいという想いがふと湧いてきて筑波に決めました。受験勉強中は大学のキャンパスマップを眺めながら、イメージを膨らませていました。

そして大学に合格し、いざ筑波へいくときはワクワクする想いしかありませんでした。また蹴球部への入部は自分の新しい世界を広げてくれました。ただ全国区屈指のレベルということもあり、順風満帆とはいきません。最初に振り分けられたチームは活動が朝練しかない6軍でした。高校までお山の大将で育っていた自分は、完全に井の中の蛙状態だったので、セレクションでも全く力を発揮できず、出鼻をくじかれました。

今考えると、そんな自分を救ってくれたというか、モチベーションを右肩上がりで取り組めていたのはもしかすると体育学部の仲間ではなく、別のコミュニティである社会工学部の友人がいたからだったかもしれません。一つの世界にのめり込むと、いつしか「自分の世界はここしかない」と思い込んでしまっていたかもしれません。サッカーについて適度な距離感をもって接してくれてた仲間の存在が僕にとってはすごくありがたかったです。

実は一日の大半を練習に費やしているわけではありません。朝練をやって、午後練をやったとしてもトータルで4時間弱くらい。結局はサッカー以外の時間が生活の大半を占めることになります。その間、何をしていたのか、もっと充実した時間を過ごしていたら、プロ選手になっていたかもしれませんし、また別の人生を歩んでいたかもしれませんが、当時の僕は時間を完全に持て余していました。

練習が終わって、今日はなにをしようかと、仲間たちで相談する。とても贅沢な時間ですね。それも4年間という決まった時間があったからこそ輝いていたのかもしれません。社会人と違って、同じ世代・似たような背景・サッカーという共通項のある仲間たちとチームを作っていくことは実はそんなに難しくありません。何か問題が起きても、時間と共に流す汗が解決してくれることが往々にしてあります。でも社会人はそんなにうまくいかないんです。(この件についてはいつかじっくり)

そんなこんなで、社会工学部の仲間たちとのリフレッシュする時間・蹴球部の仲間たちとバチバチにサッカーをする時間を密に過ごしていたこともあり、みるみる実力が上がっていきます。自分の成長が自分でわかるという不思議な感覚です。そしてそのタイミングで風間八宏が監督に就任します。つづく。。


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