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ふーちゃんとの再会

「あなたのお名前は?」
「ラストネームはなんだったかしら?」
「どこに住んでるの? お仕事は?」

何度も聞かれるよ、と友人からは聞いていた。しかし目の前に座るふーちゃんは、そりゃああの頃より歳はとっているけれど、声の張りも背すじをピンと伸ばしているのだって変わらない。
ただもう私を覚えてはいないのだ。

バークレーというコミュニティで一緒に活動していた20年ほど前にも、時々ふーちゃんの散歩について行くと、立ち話をした人にさようならと言った後「あの人名前なんだったかしら?最近人の名前が出てこないのよ。」と困った顔をしていた。
「忘れるって事はきっとそんなに大事な事じゃないのよ。名前なんて記号みたいなものかもね。」と私が言うと「そうよねー!」とふーちゃんは笑った。

忘れてしまった私を見つめるふーちゃんに、昔彼女がよく歌ってくれた60年代学生運動の歌を口ずさんでみる。
「若者よ、身体を鍛えておけ〜」
「美しい心が〜」ふーちゃんがすぐ声を合わせ歌い出した。
あの頃のままの張りのある大きな声で。
歌詞がおぼつかない私を引っ張るようにふーちゃんは1番を歌いきった。

「私は毎日のようにこの家に来てね、一緒に取材をしたり、記事を書いたりしたんだよ。」
「えー!」
「ふーちゃんはおうちの鍵までくれたんだよ。」
「ええー!」
「地元のラジオ局で反戦の話をしたりもしたんだよ。」
「まさかー!」
彼女の人生でしてきた事はすべて、今のふーちゃんにとって驚きの連続。
そんな話をしているうちに「あなたはいくつ?」と基本の質問に戻る。
そして「Mino ちゃん私はいくつ?」とパートナーのMinoに何度も聞いて困らせる。「87歳。」と3回続けて答えているMinoの語尾がだんだんきつくなるのもわかる気がする。
そう、ふーちゃんの記憶は1分くらいしか持たないのだ。

今回は約8年ぶりにふーちゃんを訪れる機会に恵まれた。
私が、いや私だけではなく、いつも会いに行く友人たちさえも分からなくなってしまったふーちゃん。
そんな彼女が20年もの間書き続け、手直しし続けてきた自叙伝がある。
波瀾万丈だった彼女の人生を書き留めたものを本にするのがふーちゃんの、そして携わったみんなのゴールだった。

「mikaさんこれ読んでみてくれる?」
そう言って、手渡された原稿用紙が何枚もあったし、コンピューターにも残っている。
折々に出会った人たちや仲間が、添削校正したり、本にするためのフォーマットを作ったりして、もう本にできるところまでいっても、「でもまだ直したいところがあるのよ。」とふーちゃんはペンを置かず、月日が流れた。

この本のプロジェクトが再び動き出した、と当時編集に携わった友人から聞いたのは、1年ほど前だ。
新しい若い世代が中心となり、出版プロジェクトチームができた。
もう本のことさえ忘れてしまったふーちゃんにかわり、パートナーのMinoが最終決定を下して、ついにこの本は完成した。

私がふーちゃんに会いに行った時、ちょうど本が届いたタイミングで、彼女から直接手渡しで本をいただいた。
「みかさんへ 愛と平和 風砂子」とサインまでしてあった。
長年のプロジェクトがついに終わった。

かつて私たちが一緒にコミュニティを作り、語り合った日々は、今このときのためだったのだろうかとふと思う。
一緒に過ごしたあの毎日は、未来である今というこの時に、ふーちゃんと私を繋げるためにあったのではないか。
何も覚えていないふーちゃんにあれもしたよ、これもしたんだよと話す私の心が温かくなる。
目の前に座って驚くふーちゃんはあの頃のままで確かにそこにいる。
魂の輝きは何も変わっていない。

記憶なんて単なる記号に過ぎないのかもね、ふーちゃん。
心の中で小さくつぶやいた。

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