詩「エンペラア・ハズ・ダイド」
前記事でご紹介した、ほさかひろこさんの小説
『いつか、むかしのはなし』
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にて、引用いただいた、詩の全編です。
若い頃、少しだけイギリスで過ごしている間に、昭和天皇が崩御されました。帰国した時は、平成になっていて、不思議な感覚でした。
しばらくして、この詩を書きました。
たしか、母を看取ったあと、位牌と共に、父の仕事について、欧州に葬い旅行をしたことで、海外が身近になり。
あらためて、ひとり、日本を発ちました。
母のオムツを替えつつ、骨のうちまで染みいる「死」の洗礼を受けながら、今さら「生」にあふれた若者だらけの日常に戻ることは、まったく現実感のない「おとぎの園」に戻るようで。家に淡々とこもり、主婦がわりをつとめつつ、ところどころ、記憶が飛んでいる状態でした。
環境を変える以外の道が、わからなかったのかもしれません。
ロンドンで下宿をして。ミュージカル・ショウの裏方を手伝ったり、巡り合わせで、代役をつとめて、スコットランドの「エジンバラ芸術祭」でひと月ほど歌って踊って、ショウ・ガールのように過ごしたり。
昭和天皇の崩御も、この詩のように知りました。
イギリス人の家主さんに「あなた(方)の天皇が亡くなった」と告げられたとき、英語には当然のようについている所有格に、改めて、どきりとしました。
私たちの、天皇。
いまでも、色々な想いがよぎり、うまく言葉になりません。
シベリア抑留地での体験を、ひと言も語らなかった祖父のことも。陵辱より、国が勧めた自決を選んだ、曾祖母のことも。「また戦おうぜ」と笑ったドイツの青年のことも。アジールにもなりうる皇居の森のことも。
「日本人は悪くなかった」と、胸を張る者たちを前に、敵味方なく、すべての罪を我が罪として受けとめるよりほかに、個としての在りようが、見つからないことも。
「許すことより謝ることを伝えなさい」
と、八丈富士の頂きで受けとった、あの不思議な声のことも。
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エンペラア・ハズ・ダイド
" ユア・エンペラア・ハズ・ダアイド!"
と ミセス・ウォルフがあの日
階段をのぼって来た
冬の朝
私は食べかけのシリアルの皿を
思わずさし出した
彼女の頬を涙が
メープルシロップのように
転がりおちたので
ぐしゃぐしゃにしてしまったから
と アイロンをかけ直した新聞を押しつけて
よろよろと部屋を去るミセス
私は
と言えば
心なしか塩味のするシリアルを
木のスプンですくって食べた
ひとの涙
を はじめて
エンペラアは
死ぬ前に
誰かに泣いてもらったろうか
敗戦に
日本に
虐殺に?
ガーディアン紙二面ぶち抜きの記事に
旗のように立つ姿は
私の祖父と似ていた
そっくりな眼鏡で
シベリアを掘りつくして生還した
みなが歴史にくるまれる
外では水道管が凍って破れ
涙の形の氷ができる
イギリスの未亡人も
ダンスしか能のない小娘も
小さな息を
ひとつつく
左官屋さえも
帽子をとって
忘れるわけにはいかないが
忘れなければ生きられなかった
と いつか聞いた
ことがある
冬の川に
芋ひとつ追って流された子供や
少年兵を撃った男
満州の村で
匪賊に襲われ
青酸カリをあおった曾祖母や
でも
私の赤い舌に
ミルクは美味しい
いつでも心の変わり身は早く
すべてはくり返されて
エンペラアは
幾度も死ぬ
モノクロームの写真が
半減期をむかえる頃
やすらかなミルクの匂いの中で
血に錆びた映写機がカタ/\と回りはじめる
一九八九年 ヒロヒト死す
(詩集『ある日、やって来る野生なお母さんたちについて』より)
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