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新しい時代の「より良さ」


人は誰でも幸福でありたいとおもう。幸福とは人によって違うけれど、端的にいえばこうなるのかもしれません。「今よりもより良く」。


この想いのもと世界はどんどん進化してきました。飛脚が郵便の手紙に、郵便の手紙がメールに。地球の裏側にいる人同士が時差を超えてコミユニケーションできるほどとても便利で快適な状態です。


しかしその一方で、こうした進化の弊害がわたしたちを不自由にしていることも決して少なくありません。これは大勢の人が感じていることかもしれません。


例えば、情報の多さ。世界がこれほど進化する以前、わたしたちが選択できるものはそれほど多くありませんでした。だから何かを選択することについて迷う必要もなく、また選択することに使う時間もそれほど必要ではありませんでした。


ところが今は選択することに疲れてしまったりします。選択に労力を使っていると感じてしまう(笑) なぜかといえば、選択肢がとてもとても多いからです。わたしなどはたまに選択することが悩みに感じることがあります。正直なところ、多くの選択肢から何を選択しても体験できるもの自体に大きな開きはありません。


何かを選択したり決断したりする場合、わたしはその物事の本質が何か?ということに注力しています。そうすれば多くのものはとても表層的で騒がしいノイズだと気づく。あとはそれを選択することで自分の精神性にどのような良い影響を与えてくれるのか。


精神性というのは人の生き方を左右するだけの非常に大きな力を持っているとおもいます。語弊を恐れずにいえば、家は住めればいい、と感じていらっしゃる方はこれがその方がお持ちになられている精神性と解釈することもできます。


家はその人の命を守り、心を守り、体を守る場所だとわたしはおもっています。その家について住めればいいというのは、すなわち、ご自身の命もあればいい、つまり生きていればいい、という精神性に繋がりはしないでしょうか。


確かにお家というのはその維持にもお金がかかります。高いお金を払われてお家を建てる、そしてその維持に対してまたお金を払われていくのが現実です。いってみれば非常にお金のかかる、多くの人にとってはまさに人生で一番高い買い物になります。だから、住めればいい、というお気持ちになられるのもとても理解できます。


こうした理由もあり、今後は小さなお家の価値観がより見直されていくのではないでしょうか? 以前子供部屋だった2階のお部屋が物置化されているお宅はとても多いですし、わたしは少子化というのは問題ではなく、価値観の違いだと感じています。


子供はとても大切でかけがえのない存在だとおもっていますが、同時に、子供を作らない、子供はいらない、が新しい価値観であるのであれば、それはそれでいいとも感じています。それも新しい時代の「より良い」の1つなのかもしれません。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


親方・三上