仕事
生きるとは何か。
その答えはわからない。
とにかく人は今を生きるものなのだろう。
大切なことはどうやって生きていくかなのだろう。
誰しも自分勝手に生きることもできるが、人は常に誰かに支えられながら生きている。
一人暮らしだとしても住む場所があり、食べるものがあり、電気も水道もガスも使えるということは誰かが作ったものを使っている。
この社会にいる時点で一人では生きていない。
死ぬ時は人は一人だというが、生きている時は必ず誰かと関わっている。
思えば人は生まれた瞬間から誰かの手に支えられて生きている。
それならば、自分も誰かに手を貸して協力しながら共に生きていくことがよいのではないだろうか?
人生にはいろいろなことが起こる。
すべての出来事に意味はあるのか?
人間がただ意味を与えているだけなのか?
起こる出来事は初めから決まっているのか?
ただの偶発的なものなのか?
考えても考えても何もわからないが、今の自分があるのは今までのすべての出来事と経験のおかげなのかもしれない。
そして、過去の自分と今の自分は連続的に見れば同じかもしれないが、内面に目を向けると違うものになっているのかもしれない。細胞も心も。
今の自分ができることと、過去の自分ができることは同じではない。
今の自分がやりたいことは過去の自分が想像もしなかったことかもしれない。
そして、今の自分が正解だと思っていることが未来の自分の正解ではないかもしれないが、やってみないとわからないこともある。
私は今、新たな仕事としていくつかやりたいことがある。
それは人々が健康で安全に安心して暮らせること。
テーマとしてはそうなる。
それを仕事としてやっていこうと本格的に考え始めた。
ただ、そんな理想だけではビジネスにならないだろうし、現状として私の考えているものはボランティア活動のように捉えられお金にならないものと言えるだろう。
お金を稼ぐというか、ただ単にお金を手に入れるだけに着目するなら闇バイトでもいいのかもしれないし、それよりだったら自分で一人暮らしの老人の家に押し入り強盗した方が効率的だろう。
しかし、それは私がやりたいことと真逆である。
人として生きるのであればやはり誰かを傷つけ奪うという選択はない。
どうやったら形にすることができるのか?
その答えはわからない。
とにかく今は考えをまとめる時なのだろう。
やりたいことの一つを書くと、それは人の身体の健康についてだ。
筋肉を柔らかく柔軟に保つことが生きる上では重要で、それを簡単に保つ方法を編み出した。
これをシェアしていきたいと考えている。
老化とは筋肉の硬化と言える。
私はまず各個人が年を取っても健康でいられるようにサポートしたい。
もう一つはまちづくりにかかわることだ。
私は練馬区に住んでいる。
緑豊かで子育てしやすいといくことだが、駅の周りや道にはタバコの吸い殼が落ちていたりする。
公園では子どもがいても見ないふりしてタバコを吸っている人もいるのが現状だ。
練馬区には『練馬区歩行喫煙等の防止に関する条例』という条例があるが、特に機能しているとは考えにくい。
道にはポイ捨て禁止や歩きタバコ禁止の立て札などが充実しているが、効果がなくただの飾りになってしまっている。
ただ、喫煙者を弾圧することは目的ではない。
タバコのマナーが悪いやからは一部で、周りのことを思って喫煙所でタバコを吸い、携帯灰皿を肌身離さず使っている人の方が目立たないだけで多いはずだ。
吸いたい人にも吸わない人にもよい環境づくりが必要なのだろう。
仕事とは自分がやりたいようにやって結果を出そうとするだけではきっと上手くいかない。
仕事とは誰かの役に立ち、そのお礼として収入を得ることだろう。
自分ができることで誰かを喜ばせること、楽しませること、満足させること、快適にすること、それが仕事だろう。
私は今、理想と現実の差を埋めて良い仕事を作りたい。
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