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所有と消費と幸せについて

ふと頭に浮かんだ考えに繋がる部分があったので文字にしてみます。

所有の価値観

急な信条告白になりますが、私は資本主義を至高の制度とは思っておりません。矛盾が多いと感じており、資本主義に代わる世の中の仕組みがないか常に思考の迷路にいます。

31歳共働き夫婦、結婚して3年、子なし
車や家の所有を考えてもよさそうな境遇です。
今もこの先も、賃貸やシェアで十分だと考えています。

  • モノは買ったときから陳腐化する(管理メンテナンスしたくないので他者に任せてサービスを買いたい)

  • 衒示的消費とするには金額が高い(「憧れのマイホーム」は素晴らしい売り文句だとは思う)

  • ローンを組みたくない(クレジットカードは使うけど・・)

  • 定住するか分からない(売れればいいが、リスク許容できない)

以上が主な理由です。しかし、子供が生まれる等環境が変わると必要な消費になるかもしれません。
それでは、子供を持つなら、所有物を増やさなければならないのか?と思うと子供を持たない選択もありかなと思えてきます。(理由はそれだけではありませんが)
所有物は資産にもなるし、時にお荷物になったり、良かれと思って遺そうと思っても、ありがた迷惑な場合もあります。
なるべく所有物を増やさず、身軽に生きたいです。

消費の選択

私が思う消費の分類です。

  1. 生命維持に必要な消費

  2. なくてもいいけどあると快適な消費

  3. なくてもいいけどなりたい自分になるために必要な消費

  4. 見栄のための消費

4はあまりしなくなりました。
若いときはブランドのバッグや時計、小物など買うことに楽しみがありました。ふとした時、自分がなぜそれを選ぶのか、分からなくなりました。
そのブランドの品であると分からなくても買うのか?それが製品そのものの価値だと考えるようになりました。その上で、それを買うかどうかは自分に選択権があります。
同じバッグを買うのでも、理由が「有名なブランドだから」だと、4に分類します。製品の価値の評価や選択を他人に委ねているような気がします。
はたまた、理由が「自分のなりたいスタイルに必要」なら3に分類します。ブランドが持つイメージごと価値になり、自分で選択します。
似ているようですが、私の中では明確に違います。なるべく3の消費をしたいです。
2は「なくてもいい」の線引きが人によって大幅に違います。
自分は「なくてもいい」の幅が広いです。新しいものにそんなに興味がなくて、自然と「足るを知る」的な感覚で生きています。(だから資本主義の信奉者ではないのかもしれません)
私はそれでよかったと思っています。ないものが多くても、不快になることがそんなに多くないからです。(他の方から見れば多くを求めているように見える場合もあるかもしれません)
一方、「あると快適」なものが多い人の感性も素敵だと思います。
よりよくなることを自分で見つけて、選択できることは、豊かさに繋がると思います。

労働と幸せ

労働は人を幸せにするでしょうか?
幸せとは豊かさでしょうか?物質的なものでしょうか?内面的なものでしょうか?
私たち夫婦は会社員として働いており、残業はほとんどありません。
毎日18時頃までに帰宅し、2人で晩御飯の用意をして、一緒に食べます。
毎日お湯をためてゆっくりお風呂に入ります。
夜はソファで映画を観たり、それぞれ趣味の時間に充てたり、勉強したり、自分と向き合ったり、将来のことを考えたり、リラックスしたりする時間があります。
モノはそんなに買いませんが、時々おいしいものを求めて外食したり、旅行したりします。
年数回海外旅行に行きます。行ったことのない土地に行くという経験を消費します。
収入は同世代と比べて特別多い方ではありません。中小企業勤めです。
それでも、子供を持たなければ十分貯蓄もできます。
旅行を入れると今でもかなり消費している方だと思いますが、これ以上所有物や消費を増やすために収入を増やしたい、労働を増やしたいという気持ちはそんなにありません。(少しはある)
不労所得があればとても素晴らしいと思うのですが…今の私では労働時間を増やす以外収入を増やす方法はあまり見当たりません。
労働時間が増えても今の幸せは維持できるのか?分岐点はどこなのか?考えても分かりません。
少なくとも、労働から得る対価には、内面的な豊かさを求めたいと考えます。
生産手段の所有に始まる資本主義の歴史を見ても、現在の税制・社会保障制度を見ても、労働者はあまりに効率的に搾取されていると感じます。
労働者をもっと自由にしたい、自分自身も自由になりたい、という思いから、労働者に寄り添う社会保険労務士を目指したいです。(勉強中)

話が逸れましたが、若いころの私は無意味な残業をたっぷりしていて、自分が大きな意義を感じない仕事に身を捧げて体調を崩すこともありました。
結婚前、そんな私を心配する義母の言葉や考え方に触れ、私の考えも大きく変わりました。
今は自分の健康や家族の幸せが、最重要だと考えています。
それを犠牲にしなければならないような労働環境に身を置くのであれば、幸せからは遠のいてしまうのではないでしょうか?

さて、色々書いてきましたが、私の中にも矛盾があります。
資本主義を認めない的な宣言を冒頭でしておいて、ブランド品を買うし、旅行に行って、モノやサービスを消費します。そこに幸せがあるのも事実です。
何においても、自分の価値観で選択し、納得のいく人生を送りたいと思います。

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