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気が済むまでいつまでもウジウジさせてくれ

時間でしか、解決できないって解ってるから、みんなそっとしておいてくれてありがとう。

好きとか愛してるとか、そんなシンプルな言葉では片付けられない感情が自分の中にあって。

3/24、いつものように、焼肉ランチを食べながらTwitterを開くと、3/4に彼が亡くなったDMが来ていた。私はその事実が受け止められなくて、それでも泣きながら焼肉を食べた。食べなきゃいけないと思った。

その日以来ずっと、寄せては返す波のように、嬉しいことがあった日には喜ぶと同時に、彼のことをふと思い出して悲しみに沈む両極に揺れている。この波も段々と平坦に近づいていくのだろう。現に、時折涙することはあっても、今はもうさざ波のように穏やかな気持ちでいる。

もっと優しくしてあげれば良かった。声を掛けて構ってあげればよかったという罪悪感に似た自分勝手な悲しみが、「別のことをしていれば悲しい気持ちにならないで済む」から、「一人の時は、悲しい気持ちに浸ることができる」へ変わっていき、それがある種の快感のように思えてそれもまた罪悪感へ加担されていく。

ご家族や私以外の友人もこういった話を見たく無い人がいると思うし、インターネットで知り合った人間(あたしと同じ宇宙人?)だから、インターネットに放流すればいいのでは、とここに書いておく。いつか、これを読む自分と、誰かのために。

人は忘れたくないものは忘れてしまうし、忘れたいことは忘れられない生き物だから。

思えば、初対面の彼は最悪だったように思う。
月並みな描き始めではあるけど、ほんとにそうとしか言えなくて。

共通の知人と2人で彼に本場パキスタンのカレー(山羊の臭みがキツイ)をご馳走になった後、私はお手洗いに立ったのだけれど、トイレの前で彼は聞き耳を立てて興奮していた。

「勢いよくジョンジョンして最高に興奮した」とのことで、勿論、「サイテー」と心からの声を口に出したが、その罵りさえまた嬉しげで、多分ドMなんだと思った。

その後、うんこの文字を書いた山葵入りのチョコをバレンタインにプレゼントしたら、一個目で山葵に当たったり、引きがとても良かったね。
だからやっぱりドMなんだと思った。

(多分、続く)

続きは気が向いたら、またその時書き足そうと思う。

米津玄師の「カムパネルラ」を聴く度、多分君の事を思い出すよ。

さようなら、おやすみ、またね。

あたしの、何でもないただの宇宙の友達。

あなたが死ぬ前にラブレターをいくつも書くくらい愛して止まない奥さんが側にいないまま、たった一人で逝く悲しみや淋しさが、走馬灯の中でのあたしのバカな思い出でちょっぴり和らいで(多分その一瞬血圧超上がりそうだけど)くれていたらいいと思う。

多分、これでいいのだ。

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