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80年代のヴィジュアルリーダー、伊島薫の、写真によるデジタル「贋作」


「アート」におもねない、軽くあり続ける。それが80年代だ。


フォトグラファーの伊島薫さんといえば、80年代のニューウェーヴァーにとって、特別にキラキラした存在だった。
モデルの顔を変形させたり死体として扱ったりした写真を表紙にした雑誌『ZYAPPU(ジャップ)』は、当時いちばんトンガった雑誌だといわれた。今から思えば、『TOILET PAPER』のマウリツィオ・カテランにも近いような遊び心で、メディア発信をしていた。

広告やファッション、芸能、カジュアルなクリエイションの世界にいた人が「アート」に擦り寄ってゆきたがるケースは多い。陶芸家にもいる。アイドルにもいる。
それが「擦り寄ってる」ようにしか見えないのは、本人のセンスと合わない服を着ようとしているように見えるから。アートを、着たら偉そうに見えるブランドだと思っている、ブランドを着ることが「上がり」だと思っているさもしさが丸見えだ。全然オシャレじゃない。

伊島さんは、やってること(エキセントリックなエロティシズムを追求した「あぶな絵」とか、アリゾナ五郎名義のアイドル写真とか)がトンガリ風味なので、まわりから「最先端だ」「前衛的だ」と言われることはあるだろうに、自らは「芸術オヤジ枠」へは進まず、80年代からの軽さをキープしたまま、今っぽい表現をし続けておられる。

「また雑誌をやりましょうよ」と後輩に呼びかけられても、昔とった杵柄をぶん回す愚はおかさない。「いまは雑誌じゃない」と、むしろ場作りやコラボレーションに注力しておられる。
時代の空気がちゃんと見えてる。オシャレってこういうことだと思う。

今回の展覧会に出品された「贋作」は、デジタル加工した名画がモチーフだが、トークショーで、デジタル加工に取り組んだそもそもの動機を「かっこいいTシャツをつくりたくて」と発言。当日は、そのT シャツを着て登壇。

この展覧会はシリーズ企画「& Izima Kaoru」のひとつ。これは、伊島さんが年代や方法論の違うアーティストとコラボレーションする展覧会で、今回は年若いアーティストと組んで、お互いの写真観を際立たせてみせた。とはいえ、年長風を吹かすこともなく、「アート」におもねることもない。ご本人がどれだけ意識されてるのか不明ながら、伊島さんは80年代的軽さを武器にし続けているように見える。どんな若手が来ても、AIが来ても動じない。現役ってこういうことだと思う。

小川美陽&伊島薫『ウツサレタモノ』@ギャルリー宮脇


以下、京都新聞 2023年9月9日掲載記事より
伊島薫は、80年代からファッション、広告の分野で活躍する写真家。小泉今日子や木村佳乃などを「死体」として撮影し生と美のイメージを揺さぶり、編集長をつとめた雑誌『ZYAPPU(ジャップ)』で、冒険的なコンテンツを編み出した。近年では表現の「場」の立ち上げを展開し、京都の染色工房跡を改装したKYOTObaもそのひとつだ。
今展で伊島がテーマにするのは、デジタル画像加工とAI。ネット上にある名画の画像を複写、加工し、キャンバスにプリント。重厚な額縁に収めた、原画と似ても似つかぬ抽象的な図像を『贋作』と題した。「写真は、すでにあるものを観察し、拾い上げ、切り取り、選び、仕上げるという行為によって成立する。デジタル加工は過去の暗室作業と同じ」と伊島。
 伊島が声をかけたアーティスト・小川美陽は、撮影者不明の古いネガフィルムに写っているものを言葉に置き換え、それをもとにAIに画像を生成させた。ネガに残された時間や記憶の痕跡。そこに介入する手段として小川が用いた先端技術は、意外や発展途上で、出力された図像は、古い写真のように不明瞭なブレを呈している。
 1954年生まれの伊島と1996年生まれ、デジタルネイティブの小川が、「写真とは何か」という考察を共有しながら、「画像の現代」に焦点を当てた。(宮脇=寺町通夷川下ル 18日まで、月休)

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